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5.セキグチマコト
「きみ、名前は?」
「関口真琴です」と助手席で彼女はそう言った。
セキグチマコト――そうか、てっきり男だと思っていたけれど、なんだ、女の子だったのか! こんなことなら、やっぱり昨日のうちに、事務所を訪ねておくんだった。
「きみにあんな場所は似つかわしくないよ。どうしてあんなところにいたんだい?」
真琴は真っ青な顔で、「それより、すぐに三鷹に向かってください!」と声を張り上げた。
「さっきの連中、姉のことも狙ってるんです。姉さん、殺されるかもしれない!」
「きみの姉さんはそこにいて、やつらに狙われているんだね?」
「はい。姉は今、三鷹にいるんです。さっき、あなたが来る前に何人か男が出て行きました。きっと姉のところへ向かったんだと思います。それからあなたが来て騒がしくなって、私を監視してた見張りがいなくなったから、逃げて出せたんです」
「OK、じゃあ、しっかり掴まっててよ!」
和泉は急ブレーキを踏み、タイヤを滑らせながら方向転換すると、三鷹に向かった。それにしてもこの子、前にどこかで話したことがあるような。うーん、一度会った女の子の顔と名前は絶対に忘れないんだけどな。
「ところで、きみのお姉さんは三鷹で何をしているんだい?」
「姉は企業コンサルタントなんです。Gフーズって言う会社の」
「へえ、Gフーズって言えば、自然食品の大手じゃないか!」
「そうなんです。今日は、三鷹の支店で仕事をしててーー」
真琴はそこまで言ったところで、「あっ!」と声を上げ、助手席で小さくなった。
「どうしたんだい?」
「あの、斜め前の黒い車、私が乗せられたのはあれです!」
斜め前に黒のハリアーが走っている。「きっと、姉のところへ向かっているんですよ」
「そのまま、小さくなってなよ?」
和泉は一般車両一台を挟んで、ハリアーの背後についた。まさか、こんなに目立つ赤いオープンカーで尾行することになるとは。野郎どもの目が節穴であることを祈ろう。
どうやら連中も、行き先は同じみたいだ。首都高速に入り、三鷹方面へ向かっている。和泉もそれを追って料金所を通過し、本線に入った。
平日の昼間だが、ほとんど渋滞もなくスムーズに進み、車は高井戸で首都高を降り、しばらく進んで、人通りの少ないわき道に入った。それを追って角を曲がった途端、突然にハリアーが急ブレーキを踏んだ。ヤバイ――和泉も急ブレーキを踏む。そして背後に、黒のギャランが止まった。挟まれたんじゃないの、これ。
ハリアーの後部座席から二人、ギャランの助手席から一人、黒づくめの男たちが降りてきた。そして全員が、懐に手を入れている。拳銃らしいふくらみ。おいおい、白昼の東京都内だぞ。こいつら、何を考えているんだよ。
和泉はギアをRに入れ、アクセルを踏みこむ。アウディがギャランのぎりぎりまで一気に下がる。前方の二人が銃を抜いたことを確認して、和泉はとっさにギアをLに入れ直し、ハンドルを切って対向車線にはみ出した。
エンジンの爆音と、アスファルトにタイヤが削られる音、そして銃声が響く。さらに対向車のクラクション。和泉は一気に加速してハリアーの前に出た。すぐさま、二台の黒い車が追ってくる。
「白昼堂々、街中で発砲するなんて、本当に無粋な野郎どもだね!」
背後のギャランが対向車線にはみ出し、一気に追い越しをかけてくる。直線では負けないよ。和泉がアクセルを踏もうとしたそのとき、ギャランの助手席の窓が開き、銃口が突き出されたのが見えた。和泉はとっさに自分のシグを引き抜く。ギャランの男も、そして真琴も驚きの表情を浮かべた。
「ちょっと、冗談が過ぎるんじゃないかい? 女の子の乗る車に、銃口を向けるなんてさ!」
和泉が引き金を引こうとした刹那、また銃声が響き、和泉の車のルームミラーを破壊した。「きゃっ!」と真琴が悲鳴を上げる。ハリアーのサンルーフから上半身を突き出した男が、こちらを狙っている。和泉はとっさにハンドルを切って、わき道に入る。
「ねえ、どこ行くの! 三鷹に向かってよ!」
「危険すぎる。警察に連絡しよう」
「だめよ。警察が来るまでに、姉さんが殺されちゃう! 姉さんを助けて!」
そのとき。真琴の携帯電話が鳴った。
「もしもし――ちょっと、姉さんは無事なの?」
真琴が電話口で悲鳴のような声を上げる。横から和泉が、その電話をそうっと丁寧に取り上げた。
「やあ、女の子に手を出したら、赦さないよ?」
《誰だ、お前?》知らない男の声だ。
「僕は今、とっても忙しいからさ、男の相手をしている暇はないんだけどね。でも彼女と、彼女のお姉さんがピンチとあれば、放ってはおけなかったのさ!」
《こっちもお前と話している暇はない。真琴に代われ》
「きみみたいな無粋な言葉遣いをする男と、彼女は話したがらないよ」
《お前と話している暇はない。真琴に聞きたいことがある》
「用件は僕が伝えよう、言いたまえ!」
《では、こうしよう。今日の午後、八王子でその子の姉と、その子を交換しよう。警察に知らせれば生命はない》
刑事なんだけど、僕。言いかけた言葉を飲み込んで、「彼女は無事なんだろうね?」と問うたが、返ってきたのはツー、ツーという電子音だった。
「ねえ、姉さんは?」
「連中に捕まったらしい」
「バカッ!」
真琴が助手席から身を乗り出して、和泉の頭をポカッと殴った。軽い一撃だったが、和泉の心には重い一撃だった。
「あなた、和泉さんでしょ? どうして拳銃なんか持っているの? どうして、そんなふうにへらへら笑っていられるの! 姉さん、あなたのことをとても信頼してたのよ。だから、何かあったら頼りなさいって、あのバーの電話番号も聞いてたの。あなたは必ず、あの店にいるからって。それくらい、すごく信頼してたのに――」
姉さん――? この子の姉さんは、僕のことを知っている?
「ねえ、マコちゃん?」
「勝手に略して呼ばないで!」という真琴を無視して、和泉は尋ねた。
「お姉ちゃんの名前、なんて言うの?」
「関口優花」
「優雅な花、と書いて優花?」
「そうよ」
――え?
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