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本間と狐男は、ビルの前で待っていた黒いクラウンに乗り込んだ。「葛木、車!」夏帆が叫んだ刹那、短いクラクションが聞こえ、すっと黒のレガシィが二人の前に現れた。
「乗れ」短く、仄暗い声。片山仁志が運転席で、無表情にハンドルを握っている。「上出来よ!」夏帆は後部座席に乗り込み、葛木は助手席に滑り込む。
「片山、何か解ったんでしょうね?」
夏帆は後部座席から首を突き出し尋ねる。「シートベルト、しろ」片山はボソッと言ってから、「本間弁護士なんだがな――」
「どんな卑劣な悪徳弁護士だったの?」
「すこぶる評判がいい」
「でしょでしょ――って、は?」
――え? 「どういうことですか?」と葛木は尋ねた。
「もともとは下町の小さな法律事務所で、地域住民の生活相談を受けていた庶民派弁護士だ。それが半年前、急に事務所を畳んで、今の新宿のオフィスを構えた。そして大手食品会社の、Gフーズの顧問弁護士に収まっている」
「胡散臭い話じゃないですか。下町の庶民派弁護士が、大企業の顧問弁護士なんて。それにGフーズって、自然食品で有名な大企業――イテッ、何するんだよ!」
葛木の頭を叩いた夏帆は、「人の話は最後まで聞きなさいよ!」と吼えた。いつも最後まで聞かないのはどっちだよ。
「で、片山。その話、裏があるんでしょ?」
片山は運転席のウィンドウを開け、タバコをくわえて火をつける。
「そのGフーズだが、本間を推挙した人物がいる。それが経営コンサルタントの関口優花。去年からGフーズに専属で雇われているやり手だ。そしてその妹が、関口真琴。フリーのジャーナリストだ」
関口真琴がジャーナリスト? その彼女が、どうして和泉と逃亡しているんだ。
「その関口真琴だが、三日前から姿を消している」
タバコの煙を吐き出して片山は言った。
「それは取材がらみで、何か事件に巻き込まれたってこと?」
「かもな。ジャーナリスト仲間の話によると、彼女が追っていたのはGフーズの食品偽装らしい」
「聞いたことがあるわ。自然食品をウリにしているGフーズは、経営不振でコストの安い農薬使用の食品を、無農薬と偽って売ってるって」
「じゃあ、関口真琴はGフーズの指示で本間弁護士によって監禁され、それを和泉が救い出した?」
イテッ――また殴られた。
「どうしてあんたは、物ごとの表面しか見ないわけ?」夏帆が言い、片山がふんとひとつ鼻で嘲った。
「話の発端は関口優花よ。きっと彼女はコンサルタントに就任後、食品偽装の事実を知って、内部告発を考えたんだわ。そしてジャーナリストの妹と、庶民派弁護士を味方につけて、偽装の証拠を集めようとしていた。でも、それがばれて、三人とも口封じをされそうになっているに違いないわ! バー帰りの和泉を襲ったり、私たち刑事をいきなり消そうとしたり、そのわりにはやけに弱い男を雇っていたり、全部が素人っぽいでしょ。素人企業が、慌てて手を打った感じがするじゃない?」
良く言えば閃きだが、しかしさすがに飛躍しすぎだと思うけど。しかし葛木はあえてツッコミは入れず、「でも、どうして和泉がそんなところに関わってくるんだ?」と尋ねた。
「そうよね。和泉がどうして絡んだのか――」
そう、すべてはまだ推理以前、閃きの段階だ。何も証拠がないし、謎の方が多い。一番の謎は、和泉の行動だ。
片山は車の灰皿にタバコを押し付け、間もなく次のタバコをくわえる。夏帆はそれを取り上げて尋ねた。
「そうそう、あの狐男は何者?」
「あいつはGフーズの雇われだ」不快そうに片山が答える。
「Gフーズは国内の広大な農地を脅迫まがいの手段で違法に買収してるって噂がある。そのほか、ダーティな仕事を引き受けているのがあの狐男だ。名前は狩谷剛。傷害と殺人未遂の前科がある。五年ムショに入ってて、半年前に出所してきた」
「まずいんじゃないの」と葛木は言う。
「そんなやつに、本間弁護士は捕まってるってことだろ」
「たぶん、関口優花もね。やっぱり、取引を持ちかけられているのよ、和泉は。何かの証拠と交換に、二人を解放するって。だから逃げた――待って!」
「え、何?」
「和泉はどうしようもないバカだけど、でも、ただ取引に応じるほどのバカじゃないわよね」
「じゃあ、敵と何か交渉しているのかも――」
「それができるほど賢くないわよ。かといって、脅迫されてそのまま従うわけもないわよね」
夏帆は後部座席で足を組み、ひざの上に頬杖をついてしばらく考えていたが、やがておもむろに携帯電話を取り出した。
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