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7.二人の逃亡者
「じゃあ、あのバーに電話をしてきたのは、奴らの仲間だったってことか」
「そう。姉さんから、あなたが切り札だって聞いてたので。《関口真琴の危機》って言えば、あなたが動くことになっているって」
彼女と話すうち、和泉はふと思い出したことがあった。関口真琴――セキグチマコト。和泉はしまった、と思っていた。電話越しとはいえ、一度聞いた声に気づかないなんて。本当に昨夜の僕は、どうかしていたんだな。
「何かあったら、あのバーに電話して和泉さんを頼りなさいって、姉さんから言われてたんです。でも、それが奴らにバレてしまってーーあの電話は、あなたを誘い出す罠だったんです」
「そうだったんだね、僕としたことが情けない――すぐにきみの危機に気づけなかったなんて!」
「まあ――さっきが初対面ですから」
真琴はちょっと戸惑い気味に言い、続けて、「でも驚きました。和泉さんが、まさか刑事さんだったなんて」
「驚くほどのことじゃないよ。刑事だろうがサラリーマンだろうがスーパーマンだろうが、僕が和泉秀であることには変わりないさ。で、きみと優花先輩はGフーズの食品偽装の告発をしようとしていたんだよね?」
「私は姉さんに頼まれて、Gフーズを外側から取材を進めてました。内部のことは姉さんと本間先生が探ってて」
「本間弁護士も味方?」
和泉が驚いて尋ねると、「当たり前です!」と真琴は叫んだ。
「あんないい先生、いませんから。私も姉さんも、本間先生にはお世話になってて。だから先生に頼んで、下町の事務所を一度閉めてもらって、やり手の弁護士のフリをしてもらったんです。Gフーズの顧問弁護士として、姉さんが推挙しやすいように、体裁を整えたんです」
「で、証拠は見つかったの?」
「はい。半年経って、やっと証拠を掴めたんですけど、でも三日前、私がヘマをしてしまって。それで本間先生のところに匿ってもらってたんですけど、それも昨日見つかってしまって」
そうか。僕が電話をしたとき、本間の声が動揺していたのは、連中に脅されて声が震えてたのか。さっき、事務所を訪ねたときも然り。
「で、ヘマって何をしたのさ?」
「本間先生と情報交換しているところを、狩谷に見られたんです。あの、狐男です。あいつはGフーズの決して表に出てこないダーティな仕事を引き受けている連中の総まとめなんです。狩谷はもともと、姉さんを怪しいと疑っていたみたいで、本間先生のことも調べてたみたいです。そんなときに私が迂闊に会ってしまって、――私のせいなんです!」
「きみのせいじゃないよ」
和泉は車を路肩に寄せ、俯いて涙をこらえる真琴の肩にそっと手を回す。一度溢れ出した涙は止まらない。止まらなくていい。哀しみも悔しさも、涙と一緒に流れ出してしまえばいい。
「きみのせいじゃないさ。きみたちの正義のために、僕は全力を尽くすと約束するよ」
「でも、姉さんと本間先生はもう、狩谷たちに捕まって――」
「大丈夫さ。殺すつもりなら、もうとっくに殺してるさ。その証拠って言うのは、今どこにあって、誰が持ってるんだい? やつら、その在り処が解らないから、今、必死になって探してるのさ」
「私が持っています」
真琴は編み上げのブーツを脱ぎ、中敷の裏からSDカードを取り出した。「ここに、狩谷たちが農家を脅迫して農地を買収している様子や、直営農園で化学薬品を散布しているところの写真が入っています」
「じゃ、それは僕が預かるよ。きみと優花先輩が、たくさんの人を救うために苦労して手に入れた証拠だ。絶対に大切にするよ!」
SDカードを手渡し、真琴が尋ねようとしたときだった。背後から足音がし、和泉はとっさに背広の内側に手を入れて振り返る。
そこには、交通課の腕章をつけた女性警察官が立っていた。
「あのね、ここ、駐車禁止なんですけど」
「ああ、そうだったね。でも、泣いている女の子を放っておくなんて、僕にはできなかったのさ」
「はあ――」
「でも、ここに停めたお陰で、きみに出逢えてよかった。じゃあ、またね。すぐ退けるよ」
「それよりあなた、ルームミラー、壊れてますけど?」
「そうなんだよ。無粋な野郎に壊されてしまってね。これから修理に行くところさ」
「すいません、一応確認のために、免許証を見せていただけませんか」
「免許証? いいとも。そんなに見たいなら見せてあげよう。きっと、僕の写真写りのよさにも惚れ惚れするよ?」
和泉がスーツの内ポケットに手を入れた瞬間だった。「そのまま動くな!」と警察官が銃を引き抜いた。
「先ほど通報があった、三鷹で銃を撃って逃走した赤いオープンカーでしょ、これ!」
「僕は撃ってないんだけど」
和泉は肩をすくめて言った。「ここでつかまるわけには行かないんだ。悪いね!」
アクセルをぐっと踏み込む。強烈なエンジン音が響き、驚いた警官がしりもちを着いている隙に、車が一気に発進する。
「和泉さん、刑事なんでしょ?」
「でも、やつらは僕が刑事だってことに気づいてないから。それに、警察に知らせたら優花先輩の生命はないって言われてるしね」
真琴はぐっと唇をかみ締めた。
「本当に、助けてくれますか?」
「もちろんだよ。約束する。僕は絶対に、女の子との約束は破らないのさ!」
和泉はパトカーが追尾してくることを確認して、急ハンドルを切って立体駐車場に入った。三階まで車を上らせ、一番奥の駐車スペースに止めた。
「さあ、降りて。この柱の陰に隠れて」
「どうするの?」
和泉は微笑んで答えない。それから間もなくしてサイレンが聞こえ、馴染みのある覆面パトのシビックが入ってきた。偶然近くにいてくれるなんて、さすが強運。夏帆たんなら、この騒ぎを聞きつけて駆けつけてこないわけないもんね。
「あの、さっきからずっと、聞こうと思ってたんですけど」
真琴が言った。「姉さんとは、どういう関係なんですか?」
「うん? 高校と大学の、先輩と後輩さ」
「それだけ?」
真琴の口を右手でさっと塞いで、和泉はウィンクをひとつ投げかける。
「さあ、静かにするんだ、ベイビー?」
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