あらしのよるに

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あらしのよるに

 文化祭が、もう目の前に迫っていた。 「えっとー、じゃうちのクラスの出し物は〝女装喫茶〟ってことでー。いいですねー?」  クラス長の声が皆の耳に届くと、辺りはざわざわと騒がしくなった。ヒソヒソと交わされる好奇の声。苦い顔をしながらも、意外や意外。結構ノリ気な様子のクラスメイト諸君。男ばかりがひしめき合うその光景を、俺は教室の一番後ろから眺めていた。  たった一人、絶望的な顔で頭を抱えている我らが水泳部部長・真田が見え、俺は思わず吹き出した。俺の横で、日比谷がニヤニヤといやらしい笑いを浮かべている。提案したのは、他でもないこの日比谷だ。  真田のためだけに提案したと言っても過言ではない、この女装喫茶。例え自分が恥をかこうとも、何としてでも真田の女装姿を世にしらしめたいのだそうだ。  生まれたときから水泳を習っていたという真田は、いかにも水泳部らしい体格をしている。小学生の頃から選手コースでバリバリ泳いでいた真田は上半身に筋肉が付き過ぎて、身長は170㎝より伸びなかった。専門はバタフライ。控えめに言って、ただのゴリラだ。  そんな日比谷の企みを断固阻止しようと、対抗案として真田が出してきたのは〝キックターゲット〟。そして今、毎度おなじみの匿名多数決と言う名のバトルが繰り広げられたと言うわけだが……。言わずもがな、結果は真田惨敗である。  俺も日比谷も、ちょっとばかしズルをして腕と腕の間から教室中を覗いていたけれど、真田の案に手を上げた人はだーれもいなかった。まあキックターゲットも悪くはないと思うんだけど。普通過ぎるよね。  誰も味方がいなかったなんて、真田には言わないでおいてあげよう。可哀想な真田。くふふ。  かく言う俺も、勿論日比谷案の女装喫茶に手を挙げたのだけど。  だってほら、やっぱり真田の女装姿見てーじゃん? 「山田のクラス、女装喫茶やるんやって?」  さっさと家に帰ってドラマの再放送を見ようというときだ。廊下で声を掛けられた。振り返ったら、隣のクラスの十河(とがわ)がいた。  金髪に近い、栗色の短髪は俺たち水泳部のように塩素と紫外線で自然と色が抜けたわけじゃなく、意図的に脱色したものだ。県外からスポーツ留学で入学した十河は、部活でよい成績と必要最低限の学業さえ押さえておけば、あまりうるさく言われない。でっかいテニスバックを背負ってのらりくらりと歩いている。どうやらこれから部活へ行くようだった。 「うん、そう。日比谷から聞いた?」  十河は頷いて、それから「真田のヤツ、絶望的な顔しとったわ」と言って、そのときの真田の顔を思い出したんだろう、くつくつと喉の奥で笑った。俺も出し物が決定した、ホームルームのときの真田の顔を思い出してにやりと笑った。真田の奴、まるでこの世の終わりだとでも言いたげな顔だったから。 「十河のクラスは何やんの?」 「俺らんとこは、お化け屋敷」 「へえ、楽しそうだね」 「山田のクラスほどやないやろ」  そして意味なく俺の頭をよしよしと撫でた。180㎝近い長身の十河からすると168㎝しかない俺は〝ちょうどいい〟サイズ感なのだそうだ。よく分からないけれど。  それから、ふたことみこと喋って十河は「あー、俺、部活行かなあかん」と言ってバイバイした。俺はしばらくでっかいテニスバック背負って歩いてゆく十河を見送って、 「あ、再放送」  再放送のことを思い出し、慌てて下駄箱に向かった。  去年同じクラスだった十河とは、割と仲がいい方だ、と思う。  一年生のときはクラスは違ったけれど、二年生で同じクラスになり、ぽつりぽつりとではあるが言葉を交わすようになった。十河は我が校の花形であるテニス部のレギュラーだ。入学時からのあの髪色も相まって目立つ男だったので、一年の頃から俺は一方的に知っていたけれど。いつもやる気のなさそうな顔で、授業中は欠伸ばかりしているが、体育と部活のときは生き生きとしている。自ら進んでクラスを盛り上げるタイプではないが、十河はみんなが一目を置く存在だった。  だけど、十河は変だ。  三年生でクラスが離れ、教室で顔を合わせることがなくなった。廊下で会ったとき、ぽつりぽつりと言葉を交わす程度だ。こんな風に。  そして必ず、二人きりのときにだけ、十河は俺に触れてくる。それはさっきみたいに、頭だったり、頬だったり、肩だったり。  ときどき、俺たちはものすごく親密な関係なんだと錯覚させられる。触れてくる十河の手が、とても優しいのだ。  十河は変だ。  
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