第2話 報徳の旅 (二)

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第2話 報徳の旅 (二)

 しかし、やはり人はいないらしい。  まだ部員が来ていないのだろうか。入り口で待っていたほうがいいかと戻ろうとした俺は、どうせだからと誰もいないその空間を観察してみる。  木目調の茶色いリノリウムの床と真っ白い壁で構成されたこの地下室。の主にこちらの整然とした空間のほうは、俺の偏見に満ちた地下室観を完全に払拭するほどの温かみを持っているのだが、そこは、どうやら四つの個人用? の区画に分かれているようだった。  まず最初に目に入った右手前の区画だが、そこには卓袱台(ちゃぶだい)などが載せられた畳が四枚敷かれており、その手前の床には三つのタイヤを組み合わせて作られた打ち込み台が鎮座していた。畳の横の壁に貼られた大きな白い布には、家紋らしきものが落書きレベルの拙さで書かれているが、どこぞの剣客が修練でもしているのだろうか。     次に俺は右手奥の区画に目を向けた。  そこには、びっしりと本の詰まった俺の身長ほどの本棚、そしてロッキングチェアと三脚の小さな机があった。大きめの観葉植物まで配置されているその空間は全ての家具が木製という事もあり、地下室らしからぬ癒しの効果を与えてくれそうでもある。使用しているのは女性だろうか。本棚に置かれたウサギの人形から俺はそう推度した。     そして視線は左端の区画へ。  簡易的なスチールデスクが二台、横に並べられているのが見える。右の一台には今では珍しい二〇インチのブラウン管テレビと旧式のゲーム機本体、そしてもう一台にはそのゲーム機で使うゲームソフト(ディスクではなくカセット)が乱雑に置かれており、なんともレトロなゲームコーナーを形成していた。この区画にいる奴とは気が合うかもしれない。俺はなんとなくそう思った。     最後に俺の両眼は左手前の区画へと向く。  オレンジ色のカーペットの上にこたつが置かれているのが目に入る。そのコタツの上には溢れんばかりのお菓子が置かれているのだが、実際、溢れてカーペットの上にも散乱していた。どんな食いしん坊だよ……と、存ぜぬ人間に呆れ返りながら壁際に置かれた青いソファベッドを見た時、俺は「あれ?」と声を出していた。  不要品の影に隠れてよく見えなかったが、そこには確かに人が寝ていた。     何だ、いたのか。     俺は就寝中のその女子生徒に近づくと、どうしたもんだろ……と、取り敢えず眺めた。     マッシュルームみたいなボブカットの髪。そこにどでかいリボンの付いたピンクのカチューシャを装着しているその女子生徒は、黄色い何かの動物のような縫いぐるみを胸元に抱え込みながら、すやすやと寝息を立てて気持ち良さそうにしている。良く見ると口角付近にスナック菓子のカスらしきものが付着しているが、それは可愛いらしい寝顔を引き立てるチャーミングスパイスのようなもの。よって俺的には何ら問題のない寧ろ好意的な失点……って、俺は何を考えているんだ。     寝ている女子を熟視して所感を抱くなど、ちょっとした変態だ。この女子生徒が目を覚ました時に俺と目が合ってしまったらかなり面倒だな、なんてことを考えていたら、それは現実のものとなった。  ぱっと開いた、まん丸の瞳が俺を見詰めている。  やばい、多分叫ばれる――と覚悟していたら、   「あのぉ、あなた誰ですか?」    と、意外にも平然とした口調でその女子生徒は俺に問い掛けてきた。  よっしゃ助かったっ、慌てるな、俺。   「あー、俺は蒼井(あおい)りくってんだけど、六条しとねさんに用があって来たんだ。います? あ、もしかして君がそう?」     むくりと体を上げたその女子生徒は俺を前にして大欠伸をかますと、ポテトチップを一枚かじってオレンジジュースを喉に通してからようやく声を発した。   「私の名前は御巫女獅(おみこし)のんだから、しとねちゃんじゃないよ。えっとね、しとねちゃんはすっごいショックなことがあったから今日は来ないんじゃないかなぁ。ところでしとねちゃんにどんな御用?」     と首を傾げる、ほんわかとした雰囲気を持った御巫女獅のんという名の女子生徒。俺は手に持っている《フォスの書》を御巫女獅さんに見せながら言った。 「これなんだけど、昨日ベンチに落ちていたのを拾ったんだ。で、持ち主の六条さんに渡そうと思ってこの《復元部》に来たってわけなんだが――」    ズダダッ!  ん、何だ?     用事を述べた俺の左耳に、誰かが駆け寄って来る足音が入ってきた。  そちらに見向く俺。すると何故だろう、竹刀を握った女子生徒が前方宙返りしている光景が目に入る。と思ったら、回転によって威力を増した竹刀の一撃が《フォスの書》を持っている俺の左手の手首に打ち下ろされた。   「独眼竜奥義、回転車輪打ちぃぃぃぃぃッ!!」 「いってえぇっ! って、何なんだ、一体っ? うおっ!?」      あまりの痛さからうずくまる俺の眼前に、竹刀の先端が突き付けられる。   「貴様か、しとねの《フォスの書》を盗んだのはっ! 罪悪に駆られてこっそり返しに来たのか知らんが、お天道様が許してもこの独眼竜(どくがんりゅう)すももは許さんぞっ!」     俺を見下ろして左目で睨みつけるポニーテールの女子生徒。何故左目だけなのかと言うと、その女子生徒は右目に本革製の黒い眼帯を付けていた。戦国アクションゲームなどで美化された武将が付けていそうなカッコいい奴である。     それはいいとして――。  俺は竹刀の先端を掴むと、その小学生のような幼児体型の女子生徒ごと手前に引き寄せる。そして独眼竜すももと名乗ったそいつの後頭部にゲンコツを食らわせた。   「あいたーっ! き、貴様、何をするっ!?」   「それは俺の台詞だ。いきなりぶっ叩きやがって骨折したらどうすんだ。ところで俺は《フォスの書》を盗んじゃいない。金曜日にベンチで拾ったのを届けに来たんだよ。それをこの御巫女獅さんに説明している時にお前が早とちりしたってわけだ。いつつ」     俺は落ちたフォスの書を拾いながら説明する。   「何? あ、起きてたんですか、御巫女獅先輩。……して、御巫女獅先輩。こやつが今言ったことは本当ですか?」 「そうみたいですよ、すももちゃん。それにしても、おまぬけちゃんですねぇ、しとねちゃんも。でも見つかって良かったです」 「はあ、そうだったのですか……拾ったと」  御巫女獅さんのそれに一応納得したような独眼竜すももなる小童。ところで御巫女獅さんは先輩だったらしい。そう言えば胸元の青い校章は二年生の証だったか。ちなみに眼帯の小童は俺と同じ一年生の証である緑の校章を付けていた。ところで……。   「分かったなら謝れよな、お前。慰謝料請求レベルのヒリヒリ感を謝罪で許してやるってんだ。早くしろ」     立ち上がった俺を70度くらいの角度で睨め上げる独眼竜。身長一四〇弱ほどのそのチビは生意気にも強きな口調でこう言い放つ。   「貴様もげんこつしたからおあいこだ、ふんっ! 大体、貴様が盗人みたいな顔をしているのが悪いのだっ」 そして、 「……さて、下郎は放っておくとして修練を始めるか。家祖たる独眼竜正宗に笑われんように独眼竜奥義に更に磨きを掛けなければ。まずは錐揉み一点突きを100回だな。何度か狙いがずれてしまうのはおそらく踏み込みに問題が……ぶつぶつ」    と、ぶつぶつと言いながら打ち込み台のある区画へと歩いていったのだった。 「くそ、腹の立つチビめ……ん?」    俺は独眼竜の述べた言葉に違和感を覚えて、お菓子を貪っている御巫女獅先輩に問い掛けた。独眼竜すももの苗字は本当に独眼竜なのかと。   「そうですよ、かっこいいですよねぇ、独眼竜って苗字。私も独眼竜とか独眼鉄とか独眼系の苗字が良かったなぁ、ムシャムシャ」     やはりそうなのか。  だとしたらおかしな話だ。今思い出したが、あの笹と雀の家紋は伊達正宗の家紋だ。そしてあのチビはその伊達正宗が先祖だと言う。確かに伊達正宗は独眼竜正宗とも言われるが、それは異名であり本名ではない。つまり独眼竜が本名であるあのチビは伊達正宗の子孫ではないという結論に至るわけだが……。  何てことを御巫女獅先輩に話した俺だが、それに答えたのはまた別の声だった。
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