第5話 報徳の旅 (五)

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第5話 報徳の旅 (五)

   多彩な色模様でそこは染まっていた。  耐え難い早さで進むにつれ、その模様が変化する。  まるでこれは……。  万華鏡?  ふいにその色模様に捩れが生じる。  それは中心軸を軸として遇力を加えたかのように……。  そして先細っていくように、ある一点に向けて収束し始める。   不意にその一点が輪郭を成し、姿を表す。  丸く、青く、白く――そう、それは地球に似ていた。  と、手を繋いだままの六条さんが振り返り、その口を動かす。   『もう着きますよ』  📖     落ちる――と思った時、俺の両足は地面に着いた。  しかし、空中浮遊をしていたあとだからなのか平行感覚がおかしなことになっているらしく、俺は揺動する自分の体を立て直すことができなかった。 「ちょっ、倒れ」    ると思った時、俺は六条さんに手を引っ張られる。そして勢い余ってその六条さんを抱きしめる形となった。 「あっ……」 「あ、ご、ごめんっ」  俺は弾かれるように六条さんから体を離す。恥ずかしさから火照る体。しかし立秋を感じさせるような心地良い涼風が撫でるようにして冷ましてくれた。    ん? 涼風? ……おい、ちょっと待て。どういうことだ、これは。  頭上には壮大な青天井、そして周囲には広大な野原が広がり、背後の眼下にはドイツの方田舎のようなレンガ作りの街並みが展開していた。メルヘン街道があってもおかしくないようなその街の家からは、今にも赤い頭巾を被った女の子が「オオカミには用心するから安心してね、お母さん」と言いながら出てきそうである。  いや、どこだよ、ここ。さっきまで地下室にいたはずだよな、俺。それが一瞬にして洋風の街並みを望める丘の上にワープとかって、どういうマジックだ。なあ、六条さん――!!    俺は固着した仰天面を六条さんに寄越した。 「ふふ、驚かれたようですね。それも当然です。今、蒼井さんが言った通り、跳躍と言う名のワープをしたのですから。童話の世界であるセレスティアに」  どうやら聞き違えたようだ。でっかい耳くそでも詰まってたか。  俺は耳の穴を掻っ穿《ぽじ》るともう一度聞く。そして六条さんから返ってきたのはこれだった。 「私達は《フォスの書》を媒介としてセレスティアの世界に入ったのです。信じられないでしょうがそれが事実なのです」    はは、……冗談だろ。     結論から言えば本気(マジ)だった。  それは、五感で体感しているものが夢とは思えない……つまり現実。という簡単な方程式に則った結果を初口として、ではここは本当にセレスティアなのか、或いはドイツの方田舎なのかという二択のどちらを選ぶかという時に、六条さんがドイツの方田舎だったらあり得ない魔法(・・)を使ったからだ。 「わ、分かった分かった、完全に信じる。だから早く降ろしてくれ、六条さぁんっ」  俺は十数メートル下にいる六条さんに懇願する。大地が遠い。気を失いそうだ。 「もういいのですか? 手を広げてバランスを取ってくれれば、大空を舞う鳥の如き滑空をさせることもできますが」 「次回でいいや、それっ。早く下ろしてくれーっ」    無事、地に足を付けた俺は、竦む足の思うがままに地面に尻を着いた。すると六条さんが横に座る。 「今のはエアフロートと言って物質を空中に浮遊させて操る魔法です。セレスティアでは支援系の魔法として割とポピュラーな部類に入るものですが、《フォスの書》を所有している蒼井さんならご存知ですよね」    エアフロートか。  確かに《フォスの書》の何編かにはエアフロートを使う旅人だったり、魔法使いだったりが登場していた。でもそれは本の中のファンタジーであり、いくら何でも現実ではあり得ないと思っていたのだが……リアルセレスティア恐るべし。六条さんはいとも簡単に使ってくれた。おかげで俺の共通感覚は人類普遍のそれを飛び越えたようだ。やっほーっ。 「ああ、何度か出てくるからな。ところでこの常識を覆す体験ってのはまだ続くのか? 最早、何でもござれって感じだが」 「いえ、取り敢えずこれで終了です。セレスティア、そして魔法の存在を受け入れてもらうというのがここでの目的でしたから。では部室に戻りましょう。そこで蒼井さんの求めていた活動内容、そしてその他諸々の説明をしたあと、実際に我がクラブの活動を体験して頂きます」  そうか。今までのは《活動を円滑に行う為の体験》だったな。  俺は、六条さんが目の前の何もない空間に魔法陣を出現させたのを見届けると、名残惜しい風景を瞳に焼き付ける。  いつの間にか街の上空に、ファンタジー度100パーセントのスタイリッシュな飛行船が現れていた。写真の一枚でも撮れば高く売れそうだな、なんてことを考えながら俺は六条さんの差し出したぬめやかな手を握り、地下室の部室へと跳躍したのだった。  📖      魔法陣から飛び出して部室に戻ってきたのだろう、俺の眼前に不用品の数々が見える。しかしその向きは逆さまであり、俺はこのあと自分の身に起こる不幸を容易に想像することができた。  ゴンッ。後頭部から床に着地した。いってえええええっ。   「だ、大丈夫ですか、蒼井さんっ。到着時は跳躍中の体の向きのまま出てしまうので、今度から跳躍中はなるべく体を動かさないでください」     それを今言うのか。まあ、跳躍中の無重力感覚が楽しくて遊泳ごっこに羽目を外し気味だった俺も悪いと言えば悪いが。   「おかえり蒼井君。どう? 凄かったろセレスティア。まるでライトノベルなんかでお馴染みのフルダイブ系MMOの世界に入ったみたいでさ」    暗い影を落とす巨漢、畑田が問う。そうか、こいつは《復元部》の部員だからすでに体験済みなんだよな。 「おい、げんごろう。セレスティアを電脳世界(バーチャル・リアリティ)なんかと同列に並べるでないっ。あのモンスターを叩きのめした時の至極の感覚、あれは現に実在する世界だからこそのものなのだからな。あー、思い出したらモンスターに打ち込みたくなってきたぞ」    恍惚にして嗜虐的な表情で桃天丸、元い汚ねー竹刀を眺めている独眼竜もやはり体験済みのようだ。  しかしこの伊達政宗の似非子孫、今気になることを言い切ったな。電脳世界ではなく、現に実在する世界だと――。微かに疑っていた仮想空間の可能性が消滅した今、俺は無性に知りたくなった。  では、セレスティアは広大な宇宙空間のどこかに存在する世界なのか、と。  どうなんだ? 六条さん。俺は立ち上がって聞いてみた。 「ええ、存在はします。しかしそれは宇宙空間ではなく童話の中に、ですが。工芸世界(クラフト・ワールド)と呼ばれるそれは大魔……」    そこで六条さんは言葉を切る。聞くに、その話は順序立てて後で話すそうだ。  早速説明を、ということで御巫女獅先輩が提供してくれたコタツへと移動する俺と六条さん。説明を受ける必要のない三人の部員は同席する理由がないので、各々がやりたいことをやるらしい。  ソファベッドに寝転がって五秒で落ちた御巫女獅先輩に喫驚したのち、俺はコタツに入ってお菓子の向こうの六条さんと対面する。と、俺の伸ばした足が六条さんの体に触れた。気まずい雰囲気。謝る俺。 「……いえ」と呟く六条さんは取り繕うような咳払いをすると、やがて俺が欲する説明を始めたのだった。 
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