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ヨキナンは、サラの隣に立つ男に厳しいまなざしを向けて言った。
「ガジェス、利き腕をなくしてもサラを守り切る自信はあるな? 一度なくした恋人だ。もう二度と泣かせるんじゃないぞ」
ヨキナンにそう叱咤され、傭兵は毒に自らの意識を奪われながらも微笑んだ。
「分かった。約束する」
その言葉にうなずいた後、ヨキナンは二人に出口を示した。
「──さあ行け。森への入り口は、二度と出入りができないように完全に土でうずめておく。……あんた達二人が逃げ延びて、幸せに暮らすことを祈っているよ」
ヨキナンの声に見送られ、二人はその場を後にした。戸外にはまだしめったフージの衣が広がる。
関わり合いを恐れてか、この騒動の間にも顔を出すものはいなかった。
しかし、サラは知っていた。町の誰かが決して家から出ることのないタリアナに、自らの危険をおかしてまで追っ手の存在を伝えたことを。そしてまた、薬棚になかったはずのヨキナンが放った爆煙草も、この町の人間の手によってひそかに用意されたことを。サラの胸中に見知った顔がいくつも浮かび、そして消えた。
診療所の裏手に回り、サラは迷わず枯れ井戸の脇に置かれた大石へ手をかけた。それは何でできているのか、大して力を込めてもいないのにすぐに転がって地面を見せた。出て来たヨキナンが急いだらしく、乱雑に草が重なった下に金属性の扉があった。
サラが扉を開こうとした時、背後でそれを見守っていたガジェスがぽつりとつぶやいた。
「本当にこれでいいのか? フージェンのサイード二世の娘、ナイーダ王女とあらば、他国に逃げのびさえすれば助けてくれるところがあるはずだ」
ガジェスの低い問いかけに、サラはゆっくりと振り向いた。その顔に満面の笑みを浮かべて、ガジェスの表情に言葉を返す。
「ナイーダ王女は死んだのよ。あの日、宮殿で暴漢となった兵士達に襲われた時、かばってくれた侍女と一緒に。──あなたが助けてくれた時から私はサラになったのよ」
「……そうか」
ガジェスはそれだけ答えると、決意に満ちた顔を上げ、自分達の行く先を見すえた。サラは金属の扉を開き、ヨキナンに渡された手籠を抱え、脇にいるガジェスの腕を支えた。
そして二人は見つめあい、新たなる世界へ旅立った。
*
その後、王女をかくまっていた裏街道の小さな町は、時の執政者に罪を問われて全ての家屋を打ち壊された。
一年前、病で亡くなった幾多の犠牲者達に加え、今回の厳しい処遇のために顔忘れの町は消滅した。
町から逃げた二人には、怒りに震える緋色の王によりさらなる懸賞金がかけられた。しかし足取りはそれきり途絶え、捜索の網にかかることはなかった。
『王女は他国へ逃れる前に、すでにその生涯を終えた』
『身分を隠して追っ手を逃れ、いまだ都に潜伏している』
まるで口承の伝説のごとくに噂だけが一人歩きして、市井の人々の口の端に上った。だが、噂自体もいつしか風化し、薄幸だった王女の名前は時の流れに消え失せた。
二人の行方は、誰も知らない。
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