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タリアナはそっぽを向いた。
「知らないよ」
つれない返事に、それ以上ガジェスは問いかけることをしなかった。無言でタリアナに背を向ける。厳しい言葉が追い討ちをかけた。
「女を娼館に売っといて、その行く末を見届けに来たのかい? 趣味が悪いね」
ふと、ガジェスの動きが止まった。そのわずかな気配を察し、タリアナは思わず息をのんだ。たくましい肩が一瞬震え、表情の読めない横顔がうつむく。
彼の男らしく引き締まった口もとから、ひび割れたような声が漏れた。
「連れもどしに来た」
タリアナは思わずうろたえると、声が聞こえた方角に向かって立ち上がった。視線の定まらない瞳で告げる。
「連れもどしにって……ちょっと、ガジェス‼」
一歩、二歩、進んでそばの丸椅子にぶつかる。──彼女は盲目だった。
「ねえ、待ってガジェス‼」
「やはり先生の家にいるんだな」
ガジェスはそう言い捨てた後、重い扉に手をかけた。手探りで入り口へと向かう必死のタリアナの目の前で、無情な扉が音を立てて閉まる。
鈍色の湿気た戸外では、フージが陰鬱な腕を広げて静かに傭兵を待っていた。
*
表通りを横にそれ、小さな町並みを南に抜けると、この町で生活をする者に希望を持たせる場所がある。
町唯一の老医師ヨキナンは、彼と同様に古く小さな診療所を営んでいた。ひどくやせてはいるものの褐色の肌は張りがあり、天気の良い日は院の庭先で、幾人かの子供を集めて字を教えているのが常だった。
その日、ヨキナンはいつものように診療用具を用意すると、古ぼけた、だがよくみがきこまれた木組みの窓から外を眺めた。見慣れた町並みがフージの衣に覆い隠されていることを知り、天の恵みに感謝しながらもため息をついて椅子に腰かける。
迷信深い町の人間はフージの日には外出をしない。ヨキナンも往診を嫌がられるために、薬棚の掃除と整頓で一日を費やすことに決めていた。が、すでに三日も重ねて薬棚の整理が続き、さして広くもない部屋はほこり一つなく掃き清められている。ただ患者を待つのみの老医師は、退屈を持てあまし始めていた。
「サラ。オーバイカの根はまだあるかね?」
ヨキナンは、診療所の奥にある部屋に声をかけた。すぐに板作りの扉が開く。
「先生、昨日もそうおっしゃいましたわね。お出かけになりたいのでしょう?」
いたずらっぽい答えとともに一人の娘が現れた。
優美な線で描かれた顎と、紫水晶の色をした大きな瞳が印象的だ。笑いを含んだ唇はつややかなカシェの実を思わせる。豊かな黒髪をあみこんで背中に長くたらした娘は、その双眸を楽しげに細めた。
「もう三日目ですもの、仕方ありませんわね。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
洗いざらしの前かけで濡れた両手をぬぐった後、巻きスカートのかくしから銀色の古風な鍵を取り出す。
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