チョコレートとコーヒー

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夜が来るたび、明日なんて来なければいいのにって思うよ。  彼女はそんなことを言った。暖房ですっかり暖かくなった部屋。午後10時。明日がやってくるまであと2時間。やりたいこともなくスマホを眺めていた僕は、視線だけ彼女に向けて答えた。 「うん、確かに」 「別に来るなら来るでいいんだけど、今くらいののんびりした時間がずっと続けばいいのにって」 「すごいわかる」  少し眠気が襲ってきている僕は、自然と言葉少なになる。 「眠いでしょ」 「うん、眠い」  一瞬の沈黙の後、僕は続ける。 「思いっきり眠った後もずっとこの時間が続いてればいいのに」  眠いはずなのに、目の周辺の神経だけが覚醒している感じ。全身を包む気だるさとちぐはぐで、寝たいんだか起きていたいんだか、自分でもよく分からなくなる。ただ、画面の奥に広がっている世界とはまだ繋がっていたい。そんな感情が心の隅っこにちょこんと存在している。 「コーヒー淹れようかな」と彼女。 「寝れなくなるよ、そんなことしたら」 「分かってるけどさあ。何か勿体ない気がして」 「このまま眠るのが?」 「そう」  すごくよく分かる。コーヒーと一緒にチョコレートがあれば最高だ。けれど口には出さない。チョコレートを買い出しに行かなければいけなくなるから。 「コーヒーと一緒にさ、チョコレートがさ、欲しいよね」 彼女は割とハッキリ、言葉の間隔をあけてそう言った。 「え、買ってきてくれるの?」 「やだ。買ってこないよ」条件反射みたいに素早く返答が返ってきた。 「でも」 「でも?」 「チョコレートは描けばいいか」 「え?」  どういうことかさっぱり分からなかった。チョコレートを描く? 描いたチョコレートをチラチラと見ながらコーヒーを啜るということだろうか。悪くはないけどせっかくなら本物が欲しい。  僕の不満そうな顔を見た彼女は 「まあ、見てて」と言って何やら準備を始めた。  そうして彼女が持ってきたのは、一枚の紙と筆記用具、そして円形の平たい皿だった。筆記用具は芯の茶色いボールペン、だろうか。何をするのだろうかと見ていると、意気揚々と真っ白い紙にペン先を滑らせ始めた。  カリカリカリ。  部屋の中にはペン先が紙の抵抗で鳴る音だけが響いている。小さな音。 「できた!」  彼女は紙に描かれたチョコレートを頭上に高く掲げた。大小様々なチョコレートが描かれている。うん、上手ではあるけれど、やっぱり本物が。  そう思った瞬間、不思議な出来事が起こった。  こつ。  何かが皿の上に落ちた。見るとそれはまごうことなきチョコレートだった。 「え、え!? なんでチョコレートが?」  彼女が持っている紙を確認すると、もともとチョコレートが描かれていたのであろうところに穴が開いている。となると。  皿に落ちたそれをもう一度確認する。指でつまむ。匂いを嗅ぐ。本物だ。  呆然としていると、今度は彼女が手に持った紙を何度も振り始めた。  こつ、ころころ。かん。こつん。  紙に描かれたチョコレートが実体となって次々転がり落ちてくる。どういう仕組みかは分からないけれど、ちょっと面白い。すっかり目も覚めてしまった。 「ね、描くだけでよかったでしょ?」 「うん、本当だ」 「じゃ、あとは……」ニコニコしながらこちらをじっと見る。 「分かったよ。ちょっと待ってて」  仕方ない。コーヒーは僕が淹れようか。立ち上がって窓の外を見ると、コーヒーの色の濃さに似た夜空が街を包み込んでいた。
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