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第9話 カナタのドッキリ
「というわけで、ツカサも一緒に考えて欲しいのよ」
「考える。何をですか」
「いや、だから。私がピンチになって、誰かの助けが必要になる状況よ」
「何を言ってるんですかあなたは」
そう言ってツカサは茶をすすった。緑茶である。ハジメには良く分からないが多分高いものだろうと思われた。
「い、いや。だから、それが魔導書を契約破棄する条件を満たす状況かもしれないのよ」
「あなたがピンチになって、ハジメさんが助けなければ! と思う状況がですか?」
「ちょっと。その部分口に出して言わないでよ。恥ずかしいのよ」
「面倒ですね」
そう言ってツカサはまた茶をすするのだった。
超対が帰り、3人は再びリビングで机をかこんでお茶していた。時刻は10時を回ったところだ。
カナタが屋根裏でハジメと考え、まとまった意見をツカサに伝え終えたところだった。
その結果、カナタはツカサに提案しているわけである。しかし、ツカサはいまいち乗り気でないというか、若干引いているようでさえあった。
「まぁ、そうですね。そういう状況を作るのならそう難しいことでもないでしょう。要するにあなたからしたら安全が明らかな状況で、しかしハジメさんから見たら命の危機としか思えないように見える状態を作れば良いんでしょう」
「ちょっと良く分からないけど」
「ドッキリでも仕掛ければ良いのでは?」
「ははぁ」
カナタは得心したようにうなずいた。何度もうなずいている。その手があったかといった感じだ。
「いや、ちょっと待てよ。ドッキリ仕掛けるって俺の目の前で話されたらもう引っ掛からないぞ」
ハジメは正論を口にした。
「なによ。ようやく話がまとまったって言うのに水差さないでよ」
「いや、だってそんなもんタネ明かしされた手品見て驚けって言われてるようなもんだぞ」
「それは無いわね。私が全力で仕掛けるドッキリなんだから。ドッキリ番組大好きで頭の中で良くシミュレーションしてるもの」
カナタは得意気であった。番組を見ている程度の根拠の無い自信で勝ち誇っている。
「なるほど。これで方法は決まったわね。ありがとツカサ。あとは行動あるのみ」
「何よりです。まぁ、実際これで条件が特定出来るなら嬉しい話ですよ」
「さて、なら準備するかな」
「い、いや。だから、そんなノリノリになってもお前、無理だよ。絶対引っ掛からないからさ」
「ふふ、言ってなさい。あとで吠え面かいてもらうから。じゃ、準備するわ。終わったら呼びに来るわよ」
上機嫌でカナタはリビングを出ていくのだった。
そして、あとにはハジメとツカサが残された。
「あいつってひょっとしてアホなんですかね」
そして、ハジメは言った。
「そういう部分はあるように思います」
ツカサは答えた。静かに目をつむっていた。
「しかし、あの子はあれで鋭いところがありますから、この話もまったくのでたらめで言っているわけでは無いのでしょう」
「ってことは、思いやりの心が条件の可能性はやっぱりあるってことですか」
「感情が条件になっているケースは良くあります。怒りや、喜び、絶望、狂気、郷愁。色々あります。カテゴリーが上がるほどその傾向は強くなるようです」
「へぇ。なんか聞こえの良くない感情もいくつかあった気がしますけど」
「まぁ、魔術というものはそういう側面もありますから」
「ははぁ。なら、ドッキリはともかくあの時みたいな状況を作るのは間違いじゃないんですね」
「ええ。それにどの道、少ない手がかりを一つづつ検証していくしかありませんからね」
ツカサはずず、と茶をすする。ハジメも目の前に置かれた湯飲みからようやく一口目をすすった。あんまり高そうなので気後れしていたのである。口に含んだ緑茶はなんというか、素晴らしい香りであるようにハジメには感じられた。
「弱ったもんです。いつまでこんな生活が続くんだか」
若干自嘲気味に笑いながらハジメは言った。そんあハジメをツカサはじっと見つめた。ハジメは人形のような顔立ちのツカサに見つめられどぎまぎしてしまう。何事だろうかとハジメは思う。
「あなたひょっとして、この状況を楽しく思ってませんか」
「え、ええ!? いやいや、ちょっとちょっと。なに言ってくれてるんですかツカサさん。そ、そんなことあるはずがないでしょう!」
圧倒的に動揺しており、そしてこの上なく本心が丸見えの言葉だった。それを見てツカサはため息ひとつだ。
「ハジメさん。良くないですよそういうのは」
「いやいや、だからそんなこと思ってないですよ」
「いえ、思っています。隠しても分かります。そもそも楽しんでいなかったら朝っぱらからあんなにグダグダ出来るはずないですし」
「そうですよね....」
うなだれるハジメ。ようやく観念したのだった。それを見てツカサは眉をしかめる。
「退屈な毎日に飽き飽きして、ちょうど良い刺激が舞い込んできたので大喜びと言ったところですか」
ツカサの言葉には明らかな棘が感じられた。ハジメは少し怯えた。心当たりがありすぎるからだった。
「良いですか。そもそもこれはちょうど良い刺激などではありませんよ。魔導書を、あなたを狙っているのは国際的な犯罪者の不和残罵です。カナタと残罵の戦闘に巻き込まれたのでしょう。命の危険があることぐらい分かったはずです」
「は、はい。でも、ここに居れば...」
「ここに居ても絶対に安全なわけではありませんよ。何が起きるかなんて分からない。相手は不和残罵ですから」
「は、はい....」
ハジメは縮こまった。返す言葉もない。
「それに、退屈が嫌だ、刺激が欲しいという感情は個人的にあまり好ましくないです」
ツカサは窓の外に目を移して遠くを見た。なにかを思い出しているかのようだった。
「あなたのような若者がそういった感覚を持つのは普通だというのは分かります。若者とはそういうものです。しかし、普通というのも何事もない日常というのもそれはそれで素晴らしいものですよ。普通でない日常を送る人間、問題だらけの日常を送っている人間からしたらそれは喉から手が出るほど欲しいものですから」
「は、はぁ....」
ハジメは一般的な男子高校生だった。今までありふれた人生を送ってきた人間だった。なのでツカサの言っていることは良く分からなかった。そんなハジメの様子にツカサはどこか憧憬のような視線を向けていた。
「とにかく。今の状況を面白おかしく感じるのはやめた方がよろしい。言いたいことはそれだけです」
ツカサがコホンと咳払いをひとつ。話は終わりのようだ。
ハジメは良く分からなかったが怒られたらしいということは分かったので気分が落ちたのだった。うつむきがちに黙りこむしかない。そして、確かに朝はだらけ過ぎたと反省するのだった。
しかし、ハジメはいくらなんでも大分言われたものだと思った。刺激が欲しいくらい誰でも思うことだ。普通、というのは嫌な響きだがいわゆる普通の感覚だ。しかし、ツカサは感情を言葉と態度で覆い隠しながらも明らかに嫌悪していた。いや、平日の朝っぱらからゲタゲタ笑いながらテレビを見ている若者なぞ基本的に嫌悪されるのかもしれないかった。しかし、それ以上のなにかがあるように感じたハジメだった。
と、そんな折だった。
ガチャリとドアが開き上機嫌のカナタがリビングに顔を出した。
「お待ちどうさま。準備オッケーよ。おいでなさいハジメ」
「ええ、ほんとにやるのかよ。良いのかよ。絶対上手くいかないぜ。必ず上手くいかないぜ」
「言ってなさい。あんたはもう完全に私の術中にはまってんのよ」
ニヤリと笑うカナタ。なんということか。敗北をまるで予想していないのだ。ハジメはなんだか哀れに思えてきた。
しかし、カナタはそんなハジメの様子にはまったく動じない。
「とにかく行くわよ。3階のテラスでやるから」
「やるからってお前...」
前置きが存在しているドッキリなど初めてのハジメだった。しかし、自信満々に歩いていくカナタに付いていくしかないのだった。
「さて、じゃあテラスまで来たわけだけども」
そうして、3人はテラスまでやってきた。テラスは中々広い。ちょうど館の真ん中にあり、3階の一部をくり貫いた形で作られていた。テーブルと椅子が一組あり、ここでお茶なんかが出来るようになっているらしい。
カナタはテラスの真ん中で腰に手を当ててハジメとツカサに向かっていた。
「来たな。それで、これからどうなるんだ。お前はどういった危機的状況に陥るんだ」
ハジメはどういった展開になるか分からない。しかし、なにかしら命の危機にカナタが陥らなくては条件が成立しない。
「ふ、ノリノリね。じゃあ、言うわ。今からここで押し相撲をやるわよ」
「えぇ...。なんのひねりも無い...」
あまりの展開に愕然とするハジメだった。あまりに直球過ぎた。見ればカナタはテラスの手すりを背にして、押されれば落下しそうな位置に立った。見え見えだ。見え見え過ぎる。押して、おっとっとと落ちそうになって危機的状況になる、といったようなシナリオなのだろう。「分かりやすすぎるだろう。そんでつまらなさすぎるだろう。いくら、検証のためとはいえもうちょっとなんとかならなかったのか。お前があんまり自信満々だからどんな捻りまくった展開が起きるのかと少しはワクワクしてたんだぞこっちは」
ハジメは糾弾するのだった。
「言ったでしょうが。吠え面かくのはあんただって」
だが、カナタは余裕だ。そして、トントンと腰を叩く。かかってこいと言っているらしい。
ハジメは観念して位置についた。この滑稽な三文芝居の演者になることにしたのだ。そもそも女の子と押し相撲というのは結構おいしい状況な気もしたのだ。気もしたのだ。しかし冷静になるとそんな状況は意味不明であるようにも思われた。ハジメはとにかく、手を上げ戦闘体勢を取る。カナタも同様だ。
「じゃあ、なんですか。私が開始とか言えば良いんですか?」
ツカサが言う。
「そうよ」
「開始」
唐突に決戦は始まった。両者ともにまずは様子見だ。ハジメはどうするのが正解なのかさっぱりだったがとりあえずまともに戦うことにした。
カナタの動きを見る。カナタはただ手を前に出しているだけだ。これは、
「誘っているのか。押せってのか。良いのかよそれで。お前のドッキリはそれで良いのかよ!」
ハジメは叫んだ。憤ったのだこのあんまりな状況に。カナタに駆け引きをしよという気は無い。ドッキリを隠すつもりも無いかのようだ。
「なんのことか良く分からないわね」
しかし、カナタはどこ吹く風だ。しれっとした表情である。
「良いよ。もう良いよ。なら押すからなコンチキショウ」
そう言ってハジメは両腕を前に押し出した。カナタの両手にそれは見事に当たる。ハジメの生んだ運動エネルギーはそのままカナタに伝わった。そして、カナタは後ろにのけぞった。
「おっとっと」
仰け反りそして、そのまま、
「きゃああああ!」
カナタは叫んでテラスの手すりから明らかに不自然な動きで落下したのだった。叫び声はどんどん下に落ちていった。
「やれやれだぜ」
しかし、ハジメはまるで動じていなかった。落ち着いた、もとい呆れた様子で手すりから乗りだし下を見た。
「はいはいだぜ。カナタさんよぉ」
「あー。ダメかぁ」
そこには地上ギリギリのところで浮遊しているカナタの姿があった。飛行の魔術を使っているのだ。そもそも、昨日の段階でカナタが飛んでいるところをハジメは見ている。なので、もう手すりのそばに立った時点で全てもろバレだったのだ。
カナタはそのままひゅん、と上まで上がってきた。飛べることそのものは羨ましく思うハジメだった。カナタはそのまま手すりの上に降り立った。
「ま、あんたの思うとおりよ。こいつのおかげ」
カナタは腰から愛用の魔導書を取りだしテーブルに置いた。
「いやー。うまく行くかと思ったんだけど。思ったより鋭かったわねあんた」
頭をポリポリ掻きながら言うカナタ。ハジメは何も答えない。ツカサもだ。ただじっとりとした視線でカナタを見ている。
ハジメは知っていた。このあと何が起きるのかを。
「あら? おっと...」
と、まただった。カナタは体勢を崩した。そして、そのまま、
「きゃあああああ!」
叫びながら落下した。
しかし、残念ながらハジメが慌てることは無いのだ。ハジメはため息を吐く。そして、さっきと同じように呆れた様子で手すり乗り出して下を見た。
そこにはまたも地面ギリギリで浮遊するカナタの姿があった。
「それで良いのかお前さんは」
「えぇ。嘘でしょ。なんで見破れるのよ」
下でカナタは驚愕の表情を浮かべていた。現実が受け入れられないようだ。ハジメは重ねて呆れる。
「こんな有りがちな方法で引っ掛かるわけないだろ。もっとましなやり方は無かったのか。ドッキリ番組ヘビロテしてんじゃなかったのか」
「へ、ヘビロテなんてしてないわよ!」
良いながらカナタはまたひゅん、と上まで上がってきた。今度は手すりに乗らない。ちゃんと、地面に降り立った。そして、また腰から魔導書を取り出した。さっきのと似ているが違う。どうやらさっきのは良く似た別の魔導書だったらしい。蔵書のどれかを拝借したのだろう。こっちが本物だった。
前まで来たカナタをハジメは憐れみの表情で見ていた。ハジメはここまでチープだとは思ってもみなかったのである。
「どうしたことだ! これで俺を騙すつもりでいたのかお前は!」
「う、うるさいわよ! これでも頭使ったんだからね!」
「こんなことじゃ小学生も騙せないぞ。どうすんだ。全然検証出来なかっただろうが」
「う、うるさいわよ。仕方ないでしょこんなちょっとの時間で命のかかったドッキリなんて難易度高いのよ」
「自分で言ったんだろうが! ドッキリは得意だって言っただろうが!」
「うるさいうるさい! ええ、私が悪かったわよ! これであんたを騙すつもりだったわよ! どうせ大口叩いたわよ私は! バカですよ私は!」
カナタはまくしたててすっかりヘソを曲げてしまった。どうやら手札は出し尽くしたらしかった。不機嫌そうにそっぽを向いている。
「やれやれだぞ、本当に。時間の無駄とはこのことだ....」
ハジメはぐったり疲れた。初めから分かっていたことだ。ドッキリと言われて引っ掛かるドッキリなんぞありはしないのだった。カナタがその常識を打ち破るのではないかと密かに期待したハジメだったが結果はこの通りだ。ハジメはなんだか裏切られた気分だ。
「もう、良いのか。もう戻るぞ」
「ふ、ふん。勝手にしてよ」
「ああ、勝手にさせてもらうぜ」
不機嫌なカナタの相手をいつまでもしているわけにも行かない。ハジメは屋内に戻ることにした。条件の検証もカナタの機嫌がこの有り様では続行不可能だ。リビングに戻って煎餅を食べることにするハジメだ。見ればツカサも同じように呆れた表情だ。勝手に魔導書を持ち出されたことにも腹を立てているのかもしれない。
「あんまり外に居て超対や残罵に見つかっても事だしな」
そして、ハジメは言った。その時だった。ずん、と音がした。ハジメの後ろからだ。鈍い衝撃、伝わる振動。
ツカサとハジメは一斉に振り替える。見れば、そこには巨大な怪物が存在していた。真っ黒でハジメの倍はある背丈。目は真っ赤で血走っている。熊とは虫類を足して割ったような見た目。
「言わんこっちゃねぇ。残罵に見つかった!」
と、その怪物の足元、そこにカナタがうつ伏せで倒れていた。怪物に押し潰されたのだ。口から赤いもの、血が吹き出していた。
「あ、ああ! カナタ!」
ハジメが叫ぶ。それに呼応して怪物も叫ぶ。その巨躯を震わせ咆哮する。
どうする、どうするとハジメは思考する。
なんとかして、助けなければと。
と、その時だった。
―ポン
音を立てて怪物が弾けた。
「は?」
面食らうハジメ。そして、怪物が立っていた場所、その下に居たカナタが上体を起こし、そして言った。
「はい、ドッキリ成功!」
「ああ!?」
ハジメは再び叫んだ。そんなハジメをよそに優越感に満ちた笑顔浮かべながらカナタは立ち上がった。
「騙された騙されたっ。今のは私が即席で作ったハリボテの使い魔よ。口のはケチャップ。はぁ、スッキリした。さんざん人のことバカにしといて見事に引っ掛かってるんだから」
カナタはケタケタ笑っていた。ハジメは何も言い返せない。ワナワナ震えている。羞恥に悶えているのだ。完全に嵌められたからである。
「く、くそぅ...くそう...」
小声でうめくことしか出来ない。
「さて、これで大体検証出来たかしらね。どうやらあんたが誰かを助けたいと思っただけじゃ条件は満たされないみたいね」
「く、くそぅ...」
カナタは実に良い笑顔だ。ハジメはその目を見ることさえ出来ない。
「さて、じゃあ私は戻るわね。あんたもそんなとこでうめいてないでさっさと降りてきなさいよ」
そう言ってカナタは完全に勝ち誇った高笑いを上げながらテラスを去っていった。
残されたハジメは今だ羞恥の波に飲まれるがままである。そんなハジメにツカサが言う。
「どうです。侮れないでしょうあの子は」
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