第18話 すべて終わって

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第18話 すべて終わって

 「ん....。おぉ....」  ハジメは目を冷ました。なにか夢を見ていたとハジメは思った。それは不思議な夢だった。地平線まで続く果てしない白銀の雪原に、延々と光輝く氷の粒が降り注いでいる夢だった。空は何故か雲ひとつ無い快晴で、それでも氷はどこからともなくずっと降り注いでいたのだ。なんの変化も無い景色の中ハジメはたたずんでいて、それをただ眺めていたのだ。「きれいだな。この世の景色じゃないみたいだ」とハジメが呟くと「当たり前でしょ。夢なんだから」と傍らで声がしたのだ。見ればそれはカナタで、ハジメの隣に一緒に立っていたのだ。そして、そこで目が覚めた。なんの暗示だったのだろうかとハジメは思う。 「......どこだここ...」  ハジメは呟いた。そこは見知らぬ場所だった。白い天井、白いカーテン、そして窓から涼しい風が吹き込んでいた。  どうやら病院だった。 「ああ」  そして、ハジメはようやく自分がとんでもない事件に巻き込まれて、そして生き残ったのを思い出した。あの繁華街の中心から戻ってきたのを理解した。ハジメはようやく日常に戻ってきたらしい。 「目が覚めましたか」  と、声がした。見ればそこにはツカサの姿があった。いつもの着物姿でハジメのベッドの横にパイプ椅子を置いて座っていた。手にはなんなのか分からない洋書を持っていた。 「ツカサさん。ええと...」 「あなたはあの繁華街で意識を失い、そのままここに運び込まれたのです。様々な検査を行いましたが命に別状はありませんでした。意識の喪失も極度の緊張と疲労によるものだとのことです。体に関して心配することはありませんよ」 「はぁ、ありがとうございます。なんで、ツカサさんが?」 「あの時あなたの付き添いをするのに適当な人間が私しか居ませんでしたからね。一晩経ってご両親もお見えになりましたよ。さきほど、朝食を食べに行かれましたけど」 「あ、そうだったんですか。母さんと父さん、変なこと言ってませんでした? 失礼してたんなら謝ります。そそっかしい二人だから」 「いえいえ、ずいぶんご丁寧に挨拶して下さいましたよ。こっちが恐縮するくらいでした」 「そうですか。なら、良いんですけど」  どことなく、変な心地のするハジメだった。ツカサがある程度は看病してくれたということであり、気恥ずかしさもあった。  しかし、今はそんなことよりもだ。  昨日の夜、あそこであったことがハジメには思い出された。  カナタの右ストレート。それは残罵の頬に見事にクリーンヒットした。漫画みたいに吹っ飛んだ残罵はそのまま意識を失い、残罵の術式で現界していた怪物たちも消滅。そして、カナタとハジメは本当に勝ったのだった。  カナタはぶん殴っても怒りが収まっていない様子だったがとりあえずそれ以上なにかをすることは無かった。  残罵はかなりの勢いで吹っ飛んで、良い一発をもらっていたが仮面がずれることは無かった。素顔は見えなかった。  遠くで超対のパトカーのサイレンが鳴り響いていた。意識を失った残罵はもうすぐ収容されることになるのだろう。初めて、ようやく残罵は逮捕されるわけだ。それに協力した当事者は他ならぬハジメとカナタなわけで、そう考えるとかなりの功労者ということだった。しかし、この時のハジメにもカナタにもそんな考えは無かった。ただ単に、ようやく一件が落着しひと安心という意識しか無かった。  カナタはハジメの元までやってきて、上からハジメを見下ろした。 「か、勝ったんだよな」 「ええ、あいつ完全に意識が飛んでるわ。あとは超対に捕まって檻の中。私たちの勝ちよ」 「やった!」   ハジメ喜び、ユラユラ揺れた。 「お、おい。引き上げてくれ」  そしてカナタに言う。 「無理よ。私にあんた一人引き上げる力なんてないもの」 「浮遊の魔術でなんとかならないのかよ」 「あれは私一人限定だから無理よ」 「なんてこった」 「もうすぐ超対が来るんだから問題無いわよ」 「そ、そうか」  ハジメは下を見る。燃え盛っていた炎はやがて鎮火しつつあった。カナタが魔導書を閉じたからだ。あれらは結局魔力の炎なので魔導書が停止すれば消えていくのである。が、破壊された街はそのままだ。駅前はもはや原型を留めないほどの有り様だった。復旧にどれだけの金がかかることか。 「おい、終わったんだな」 「ええ、そうよ。これで事件は無事解決。あんたの契約ももう破棄された。その魔導書はもうフリーよ。つまり、これでようやく本当に私のものに戻ったわけね。ようやく換金出来るわ。うふふ」  カナタは漫画なら目が$マークになっていたであろう笑いを漏らしていた。欲にまみれていた。さっきまで強靭な意思で激戦を繰り広げた魔術師とは思えない。  しかし、実際本当のことであるのは紛れもなくハジメが知っていた。 「助かったぜ。お前のおかげで無事に帰れる」 「な.....! どうしてそういうこと言うのよ。恥ずかしいって言ってんでしょ!」 「あ、ああ。でもほんとのことだから。お前が俺を助けたいって思ってくれたから契約破棄が出来たんだ。ありがとう」 「止めろって言ってんでしょ! 恥ずかしい!」  カナタはハジメの吊るされたロープを蹴りつけた。ぐらぐら揺れるハジメだ。 「じゃあ、これで歳星館に戻って、ツカサさんに魔導書を売るのか」 「そう、そうなれば私の目的は達成ね。本当に疲れる一件だったわ。残罵さえ居なければもっと早く目的は達成してたのに。まぁ、これで残罵もめでたく塀の向こう、私も億万長者。遠回りはしたけど全部うまく行ったから良しとするわよ」 「そうか。なら、その後はこの街でどうするんだ? 暇なら俺がいくらでも付き合うぞ。ずっと歳星館の中にこもりっぱなしだったからな。色々案内したいとこもあるし」 「........」 「ん。どうした」 「この街にはもう何度も来てんだから、今さら案内される必要なんてないわよ」 「本当か? おいしいラーメン屋とかあるぞ。喫茶店も、服屋も、穴場スポットは色々ある。何回か来てるだけじゃ絶対知らないと思うけどな」 「なにがよ。必要無いわよ。私はそういうのに興味無いから」 「そんなこと無いって。行ったら絶対楽しいぜ?」 「しつこいわよ」 「良いだろ。試しにさ。せっかくこうやってひとつ大きな困難を乗り切ったんだ。打ち上げのひとつもやろうぜ。そうだ、ツカサさんも誘ってさ。そうだそうだそれがいいや」  ハジメは一人で盛り上がりに盛り上がっていた。ようやく危機から脱した開放感から若干ハイになっているようだ。カナタは呆れながらそれを見ていた。 「な? 良いだろ?」  ハジメは重ねて言った。 「はぁ、分かったわよ。気が向いたらね。気が向いたら」 「よしよし。必ず気が向くようにするから予定は空けといてくれよ」 「気が向くようにするってなんなのよそれは...」  超対のパトカーの音がどんどん近づいていた。もうすぐ無数の車列がこの駅前に押し寄せるだろう。ハジメはどっと疲れが吹き出るのを感じた。もうすぐ落ち着ける。もう、危険は無い。それで、とにかくほっとしたのだ。そうすると急激に眠気が襲ってきたハジメだった。どんどん意識が朦朧としてくる。 「くそが、眠い」 「そう? 寝ときなさい寝ときなさい。もう大丈夫なんだし」 「そうか? なら、ちょっと...だけ....」  言うが早いか。ハジメのまぶたはゆっくりと落ちていった。そして、意識も薄れていく。 「じゃあね」  その最後のカナタの一言をハジメは聞くことはなかった。 「そうか。あれから一晩ですか」 「ええ、残罵は回収されました。歴史的快挙です。テレビでは深夜に速報が出ていましたよ。あなたの状況はもう問題ありませんから、明日超対が話を聞きに来るでしょう」 「ええ、いやだな」 「なんらかのお礼もあると思いますよ。あなたは功労者ですから」 「へぇ、楽しみになってきました」  現金なハジメを見てツカサは本当に問題なさそうだ、と思うのだった。  そして、ハジメは昨日の夜のことを思い、カナタのことなんかを思い出していた。 「それにしても、なんでカナタのただのパンチがあんなにあっさり残罵に当たったんですかね。魔術は全部転移でかわされてたのに」 「ああ、そのことですか。あれは、残罵が私の館に来たときに残罵の術式をリーディングしましてね。そこからあの転移魔術のからくりを読み解いたからなんですよ」 「はぁ」 「残罵の転移は早かった。魔術が発動した瞬間に転移するので魔術はまったく当たらない。魔術が当たらないとなると魔術師は手の出しようがありません。なので、残罵は魔術師に対して優位に立っていたわけです。ですが、転移は早い、早すぎました。人間の反射神経では説明が付かないほどに」 「それはつまり」 「ええ、残罵の転移術式は魔術の発動に対して自動的に発動するようにプログラムされていたんです。なのでラグがほぼ無しで魔術をかわすことが出来た。今まで、動作やあの高圧的な言動などでカモフラージュしていたようですがそのタネは至極単純なものだったんですよ。まぁ、それでも実際当たらないんですから強力ではありますけどね。あの使い魔と組み合わせれば並み以上の魔術師ならまるで歯が立たないでしょう。故に残罵は慢心していた。見破られなければ負けるはずはないと」 「じゃあ、あの駅前で始めカナタが良いように翻弄されてたのはブラフだったんですか」 「そういうことです。残罵の魔術のからくりに気づいてないと思わせたわけですね。あとはあなたの見た通り。魔術に反応する術式はただの拳にはまるで反応しない。なので、一瞬で距離を詰めたカナタに残罵はなんの抵抗も出来ず殴り飛ばされたというわけです」 「ははぁ。最後はステゴロでしたかぁ...」  ハジメは苦笑いしながら頬を掻いた。 「どこまでもぶっ飛んだやつですねあいつは」  ハジメは嬉しそうに言う。そして昨日のことを思い出した。 「あいつ、自分は普通だって言ってました。残罵に普通じゃない、って言われてぶちギレてました。だから、ぶっ飛ばしたんだ。俺はあいつが普通なのかそうじゃないのかよく分からないけど、すごいやつだと思います。普通がどうとかどうでも良くなるくらい」 「そうですか。カナタがそんなことを」  その言葉にツカサは微笑んで目を伏せた。 「あの子の価値観がそれですからね。そう、普通の人間から見ても、普通じゃない人間から見ても普通じゃないのに、本人は至って大真面目に自分はありふれたなんの変哲も無い人間だと思っている。始めはなんて変わった人間だと思うんですが、私なんかは一緒に居るうちに気にならなくなっていきました。本人の言い分が分かった気がしたのが半分、あの子の前では気にするだけ無駄だと諦めがつくのがもう半分」  ツカサはふと窓の外に目を向けた。朝の日差しが差し込んでいた。中庭は誰もおらず静かだった。 「私はあの館にやって来た時から魔導書に縛られた生活を送ってきました。常に魔導書のことを考え、勉学に勤しみ、歳星館という蔵書庫を管理するためだけの生活を送ってきたのです。いわゆる、一般的な若者の青春とはかけ離れていました。そういう意味で私はあなたの逆です。私は陰ながら普通の生活が羨ましくて仕方なかった。だから、カナタを見たときに仲間だと思った。自分の生活を肯定してはくれないかとどこかで思っていたのかもしれません。でも、あの子は自分は普通に生きていると言い張りました。最初は随分苛立ったものです。でも、段々あの子を受け入れていくうちにどうでも良くなっていきました。ふざけた話です」  そして、ツカサはハジメに目を戻した。 「あの子はあなたを助けたい、と思ったのですね。あの戦いで。だから、契約破棄が出来た」  恐らく、ツカサはカナタから契約破棄の条件の話を聞いていたのだろう。 「らしいですね。あの性悪がそんなこと思うとは驚きましたけど」 「そうでしょうね。外側からはさっぱり分かりませんが、あの子はあれで優しい子なんですよ。ええ、その辺の高校生と変わらない」  ツカサは微笑んだ。 「普通じゃない生活はまだ欲しいですか?」 「いや、少なくともしばらくはごめんですね。ひどい思いをしましたし。それに、あいつは俺と居て楽しいって言ってくれたから。今はそれで良いんです」  ハジメは淀みなく答えた。本心らしかった。 「そうですか、それは良かったですね」  ツカサは答えた。  窓から涼しい風が吹き込み、二人の髪を揺らした。日は登り、もうそろそろ街も起き出すころだと思われた。  これで、ようやく終わりだった。めちゃくちゃなハジメの日々は終わりを迎える。最初から最後までまったく普通ではなかった。ハジメが常々望んでいた非日常、それに巡り会ったハジメはしかし実に疲れていた。疲れに疲れていた。死にかけたことも何度かあったのだ。なのでハジメはとにかく、早く自分の家に帰ってゆっくりとしたいと思った。そして、その後また学校に行きたいと思った。退屈の塊の学校へ。最初こそ大事件の当事者として騒がれるだろうが2、3ヶ月もすれば元通りの日常だろう。今やそれが恋しいハジメだった。  普通の考えだと思った。  そして、そんな自分を気にしないやつが居た。  だからハジメはとりあえず気にしないことにした。  結局そういうことだった。  と、ハジメはそこでハタと思い至った。散々思い出しておいて、散々語っておいてすっかりとその本人が居ないことに気づいたのだ。 「あれ、カナタはどうしたんですかね。歳星館に居るんですか?」  お見舞いだの看病だのカナタは顔を真っ赤にして拒否することだろう。そういう薄情ものだ。だから、館で待っているのだとハジメは思った。 「あの子は、この街を発ちました」 「へ?」 「あの後、すぐに私のところへ来て『ディアン・ケヒトの魔導書』を換金しまして。大金を抱えて去っていきましたよ」 「そ、そんな...」  ハジメは言葉を失った。 「街の被害が大きすぎましてね。捜査協力であることを差し引いてもそこそこの額を払うことになりそうなのです、あの子は。だから、また稼ぐと言って行ってしまいました。そもそも、ひとつどころに留まらないで放浪している子ですからね。いつも通りに振る舞ったのですよ」 「で、でもあいつ。俺が今度街で遊ぼうって言ったら、考えとくみたいなこと言ったんですよ。あいつの性格ならその時はっきり言うじゃないですか」  その言葉を聞いてツカサは本当に以外なものを見たように目を丸くした。そして答えた。 「そうですか。あの子はあなたを悲しませたくなかったんですね。あの子はあなたをそれだけ特別な存在だと思っていたのですよ」 「そんな....」  ハジメは呆然とツカサを見た。  カナタは行ってしまった。さよならもまともに言えなかった。あれだけ、まぁ、めちゃくちゃな日々を共にしたというのに。カナタは綺麗に居なくなってしまったらしい。  ハジメは寂しかった。それも猛烈に寂しかった。会えると思っていたのだから。このまま何とか強引に街に引っ張り出して、旨いものを食べるだとかショッピングに渋々付き合うだとかそういうことをするつもりだったハジメなのだ。  だが、もうカナタはどこか遥か彼方に行ってしまった。 「次はいつ戻ってくるんですかね」 「分かりませんね。数ヵ月かもしれないし、もっとかかるかもしれません。私にはなんとも。ですがいつかはまたやって来ます。あの子なら」  ツカサは言った。半分くらい嘘を言った。カナタは去り際に「超対との絡みが面倒だからこの街に来ることは少なくなると思う」と言ったのだ。カナタのことだからひょっとしたらもう来ないつもりかもしれないともツカサは思った。カナタはそういったところはシビアな魔女だ。だが、ハジメの様子を見ると言えなかった。 「そうか、そうですよね。あいつならまた金に困ってひょっこり来るでしょうね」  ハジメはツカサの言葉を真に受けて笑っていた。 「まぁ、気長に待ちます」  ハジメは言うのだった。ツカサそれを見て寂しくなったが、どこかでひょっとしてこれは茶番なのではないかという思いが沸き上がっていた。カナタは来ないと言った。だが、本当にそうだろうかと。 「だってあなたは普通の女の子ですからね」  ツカサは窓の外に向かってそう言っていた。 「ん? なにか言いましたか?」 「いいえ、なにも」  ツカサは微笑んだ。  こうして、事件は解決し街には平穏が戻った。破壊の後、混乱の余波はしばらく残ったがそれもやがて薄れ街には日常が戻っていった。
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