第1話 夕暮れの公園にて

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第1話 夕暮れの公園にて

「あー。今日も一日が終わっていく」  少年は小さく、自分に聞こえるだけの声で言った。独り言である。少年はそして、大きくため息を吐いた。  少年が居るのは橋の上だった。ここは運河を囲むように作られた公園だ。少年はそこにかかる橋の上で手すりにもたれ掛かりため息を吐いているのだ。平日の夕暮れ、公園には結構人が歩いている。みんな、暮れゆく一日の残り時間を思い思いに使っているのだ。  かくいう少年も学校帰りだった。放課後、家までの帰り道の途中にこの公園に立ち寄ったというわけだ。 「あー。なんてなんにも無い日だったんだ。なんて有り触れた一日だったんだよ」  少年はぼやいていた。 「何も起きない。何も起きないぞ...。もう、高2なのに何も起きないぞ....。高校に入ればなにか起きるんじゃないのかよ.....」  少年はブツブツ言っている。その傍らを若いカップルが通り過ぎていった。イケメンと美人のカップルだった。少年はそれを横目で見る。そして、またため息を吐いた。 「くそぅ....。彼女の一人も出来やしねぇ。まさかこのまま高校生活終わるのか? 嘘だろ....。そんなもんなのか?」  そして、少年はゆっくり空を見上げた。空は沈みゆく夕日に照らされ見事な赤色に染まっていた。きれいな景色だった。しかし、少年はそんなことはどうでも良かった。 「あー....。なんか、面白いこと起きないのかよ.....」  少年は腹の奥から出てきたような切実な口調で言った。  彼は、小山始は高校生である。普通の高校生である。どこぞの県立高校に通う2年生であり部活は帰宅部、成績は中の上。運動神経はまぁ普通。容姿も普通のメガネ君。友人の数も普通、彼女は居ない。なんというかどこにでも居る普通の高校生である。そして、彼はさっきからまた、高校生なら誰でも持つであろう普通の悩みに頭を痛めていたのだった。  何も起きない、という切実な問題に。  誰しも思うようにまたハジメも思っていた。高校というところに入ればなにか起きるんじゃないか。昔から見てきた漫画だのドラマだののようなことが起きるんじゃないか。具体的には彼女が出来たり、熱い友情だの楽しい学校行事で巻き起こる楽しい事件だのそういったことをこの少年は期待したのだ。本人は恥ずかしくて考えたくもないのだが、その実、青春を期待したのである。  しかし、早高校に入り早一年が過ぎ二回目の初夏だった。期待に胸を膨らまし、ただ膨らましただけで一年が過ぎてしまったのだ。なにも起きないまま気づけば一年が過ぎていたのだ。大変なことだった。 「なにしたらなんか起きるんだよ.....。部活でもすりゃあ良いのか.....ああー。クソ。どうしよう。どうしてだ。なんかしないと本当にこのまま終わってしまう.....」  ハジメはてくてくと歩き始めた。家に帰ることにしたらしい。正直この公園に来たのも有数のデートスポットだからで、ひょっとしてなにか起きやしないかという期待の元だった。しかし、残念ながら何も起きず、ただただラブラブしているカップルの様を見せつけられただけだったのだ。ハジメは精神的ダメージを受けるだけに終わった。 「今日もなんにも起きなかった。明日もなんにも起きないのか。こうやって毎日が過ぎていくのか。くそぅ....。面白くないな.....」  ハジメはとぼとぼ歩く。道もどんどん混んできた。皆家に帰るのだ。ハジメも帰って晩飯を作らなくてはならない。というかその前に買い物に行かなくてはならない。確か今日は鶏胸肉が安売りだったはずだ、それを買おう、などとハジメは思っていた。そして、実に庶民臭く面白みがないなんて思ったのだった。  夕日が沈んでいく。人口200万人の大都市、明比が夜に向かっていく。  と、その時だった。 「ちょっとそこのお兄さん。浮かない顔ですね」  ハジメを呼び止める声があった。  振り返ればそこに居たのは少女だった。年はハジメと同い年くらいだろう。髪は赤でウェーブのかかった髪をサイドポニーでまとめていた。目は緑色で赤いカーディガンを羽織っている。美人だった。そして胸が大きいのをハジメは見逃さなかった。  少女はにっこり笑っている。少女は椅子に座っていた。そして、その前にはレースのかかった台が置かれておりそこにカードだの、水晶玉だの、なんかの書物だの、薬瓶だのが置かれていた。 「なんだあんたは....」  ハジメは訝しげに少女を見た。可愛い少女だった。しかし、怪しかった。とても堅気には見えない。というか堅気では無かった。その台には垂れ幕が下がっていた。そこには『魔女カナタの絶対当たる占いの店』とあった。それをジロジロ見ているハジメに少女が言う。 「ここに書いてある通りのものですよ。私は魔女のカナタと申します。私の占いは良く当たりますよ? 試しに一度どうですか?」 「『絶対当たる』んじゃないのかよ」 「ああ、間違えました。『絶対当たり』ます」  少女はニコニコ笑っている。なんとなく胡散臭いとハジメは思った。そして立てられたカードを見れば占いは一回3000円とあった。ハジメは呻く。とても一高校生に出せる額ではない。  しかし、 (魔女って初めて見たな.....)  ハジメは思った。魔女、魔術師。そう呼ばれる人々が居ることは知っていたハジメだが眼の前で見るのは初めてだった。  魔女、および魔術師と呼ばれる人々はいわゆる魔術を使う人々のことだ。その昔、まだ科学が発達していなかった時代は医者として街に、シンクタンクとして政治に、武力として軍事に、とにかく人々の生活に無くてはならない人々だったそうだ。しかし、科学技術が発達するに連れその汎用性の低さから徐々に廃れていった職業だった。魔術は素養と経験に大きく依存し、誰でも使えるものでは無かった。そのため素養も経験も無くとも扱える科学にどんどん居場所を奪われていったわけである。そして、現代では学者や芸術家なんかと同じような扱いであまり表舞台で派手に活躍することは無い。不思議なことを起こせるのでテレビでタレントをやっているものもちらほらは居るがあまり見ることの無い、珍しい人々だった。  そして、その一人が今まさにハジメの眼の前に居るのだった。 「ふふふ。あなた今『魔女って初めて見たな』って思いませんでしたか」 「え? あ、ああ。そうだな。そうだよ」  ハジメは若干驚く。思っていたことをピタリと当てられたからだ。 「ふーむ.....さらに、あなたは今、退屈な日常に飽き飽きしている。それで毎日憂鬱なんでしょう」 「え? マジかよ。当たってるよ.....」 「うふふ。どうです。私の占いは当たるんですよ。何せ正真正銘の魔女なんですからね」  少女は胸に手を当て自慢げに言った。ハジメは低く唸った。 「すごいな。魔女ってほんとに占いが出来るんだ。今のも魔術かなんかで当てたのか?」 「え? え、ええ。そうですよ。魔術です魔術」 「なるほどなぁ」  ハジメは深く感心したのだった。すごいと素直に思った。怪しく胡散臭いがたしかにハジメの考えや悩みを当てている。まさしく魔女のイメージ通りの不思議ぶりだ。それも魔術を使ったと言っている。ハジメは魔術というものに触れるのは初めてだったので感動していた。俄然目の前の魔女に興味が出てきたハジメだ。久々の非日常である。 「ええと。占いって安くならないの?」 「は?」  ハジメの言葉に魔女が若干不機嫌になったように見えた。しかし、気にせず続ける。 「いや、さすがにぽんと3000円も払えんよ。こちとら普通の男子高校生だ。あくせくバイトをやりながらやっとかっと暮らしてるんだから」 「あーあ.....」  なぜだか分からないが魔女カナタは神妙な顔つきで虚空を見つめていた。ハジメにはなんのつもりなのか良く分からない。 「やっぱ高校生なんかに声掛けたのが間違いだったわね....」 「え? なんか言ったか?」  魔女が何か小さな声で言ったがハジメには聞き取れなかった。そんなハジメにカナタはにっこりと笑って応じる。 「なんでもありませんよ。そうですねぇ。タロット占いなら1000円にまけますけど....」 「1000円かぁ。もうちょっと安くならない?」 「ちっ....」 「え?」 「いえいえなんでも。そうですねぇ。980円ならどうです?」 「微妙だな....。500円にならないの」 「950円なら....」 「じゃあ、600円...」  そんな感じで二人は何回かやり取りを繰り返す。そのたびにカナタの顔は引きつっていったように見えたがハジメは気のせいだと思うことにした。こんな可愛い子がそんなこと思うわけがないとハジメはどこか楽観視していた。  というか可愛いなとハジメは思っていた。学年で一番の美人より可愛い。テレビに普通に出ていてもおかしくないような可愛さだとハジメは思っていた。そんな可愛い娘とこんな風にやり取りが出来ているだけでハジメは何だか実に楽しいのだった。 「あああ! 分かりました! 680円。これならどうです」 「よし乗った!」  そしてようやく値段交渉は成立した。カナタのこめかみが若干ひく付いているように見えたがハジメは気のせいだろうと思っていた。  カナタはタロットカードを切る。何だか乱暴に見えたがこれも気にしないハジメだ。台の上に広げて混ぜ合わせていく。  そして、カナタはキレイに整えた。 「では、何を占いますか?」 「うーん。これから可愛い娘と出会えるかどうか、占ってもらえないか」 「はい、承知しました」  なんだか投げやりな感じで一枚カードを抜き取り、ぺいっと台の上に放った。カードは変な男が逆さになっている絵だった。 「逆位置の吊るされた男ですね」 「なんだそれは」 「何をしても無駄ということです。あなたに良い未来はありません」 「ええ....」 「恐らく恋愛というものに関わろうとするだけであなたには良くないことが起きるでしょう。気づいたら三角関係に外側から関わる羽目になり、好きな人が出来ても金持ちでイケメンでスポーツ万能でしゃべりも上手い彼氏が居ることでしょう。そして、あなたがまったく好きでない人があなたをしつこく追いかけ回すことになります。気づけば家の前に、ふと窓を見たらそこには彼女が、といったような状況になるでしょう」 「ええ....」  ハジメは落胆した。 「そういうことです。ではお代をお願いします」 「ええー。ていうか何か解決策みたのは無いの」 「それを占うならもう680円必要になります」 「ええー、そこをなんとか」 「無理ですね」  カナタはきっぱり言い切っていた。というかいい加減にハジメも気づいた。さっきから薄々感じていながら気のせいだと思いこむことにしていたが明らかにカナタは機嫌が悪かった。最初よりも明らかに悪かった。完全にハジメを拒絶するオーラを全身から溢れ出させている。 「機嫌悪いね」 「そうですか」 「うん、悪い」 「はぁ....。じゃあ、じゃっきり言いますけどこっちも商売なんです。お金が無い人の相手いつまでもしてられないんですよ。冷やかすだけならさっさと行った行った」  そう言って手をヒラヒラ振るカナタ。 「えー、そんなこと言うなよ」 「行ってください」 「もうちょっとだけ話させてくれよ。魔女なんてもういつ会えるか分からないし」  ハジメはなんとか食い下がる。せっかく手に入れた刺激を手放すまいと躍起だ。 「.....ええい」  と、カナタは台を叩いた。 「邪魔だって言ってんのよ! 分かんないの!」  途端今までの丁寧な口調から一転してかなりの高圧的な態度となった。 「お、おう」  ハジメは気圧された。 「こっちはこれから大金を作るの。その前にひと稼ぎしようと思ってここで店広げてるのよ。はっきり言ってあんたみたいな貧乏な高校生にいつまでも付き合ってる場合じゃないのよ」 「な、な、な。何言ってくれんだお前!」 「だから、邪魔だって言ってるのあんたは。早く行ってくれない」 「な、なにおう!」  ハジメは若干前傾姿勢になり敵対の構え。 「こっちは一応金払ったんだぞ!」 「でも、とんでもない値下げ交渉してくれたでしょ。はっきり言って面倒極まるのよあんたみたいのは。よっぽど金は要らないからさっさと消えてくれって言おうと思ったところを押し留めたんだから。感謝して欲しいくらいよ」 「なんて言い草だ。いや、実際俺もこれはしつこいな、と思ってたけどそこまで言うなよ。アホな男子高校生のアホな戯れだとちょっと大目に見てくれないのか。いや、確かに思い返せばほんとにアホだと思うけど」  ハジメはさっきまで行った節度の無い値切り交渉を思い返し自分に切なくなっているところだった。 「無理ね。私そもそも高校生嫌いだから」 「な、なんじゃそりゃ。お前も高校生だろ」 「いーえ。私は高校行ってないの。もう、一人で働いて自分の力で生きてるの。あんたみたいななんにも考えないで言われるがままにぼーっと高校行ってるやつとは違うのよ」 「な、なんだと! 日本全国の高校生に謝れ!」 「いーえ。謝らない。私は間違ってないもの。大体悩みを言い当てる簡単なトリックも見破れてないじゃない。ぼーっと生きてる証拠よ」 「何?」 「あんたが『退屈な日常に飽き飽きしてる』って言い当てられたのはあんたがブツブツ言ってたのが聞こえてたからだし、『魔女を初めて見た』って当てられたのは明らかにそんな顔してたから当てずっぽうで言っただけよ」 「な、魔術でもなんでも無いのかよ」 「その通りよ」  カナタは偉そうに笑いながら腕組みしてふんぞり返っている。  ハジメはどうやら目の前の魔女とやらがとんでもないキワモノであることを理解した。めちゃくちゃな人間である。思考回路がハジメの知る普通から大きくハズレている。ハジメの目の前の少女に対する可愛いとか、胸がでかいとかそういった異性としての興味は綺麗さっぱり消滅していた。こいつはヤバイやつだ、という考えしか浮かばない。とんでもないならず者である。ハジメはもはや関わり合いにならない方が良いと思えた。しかし、何かここで大人しく引き下がるのは日本全国の高校生たちに申し訳が立たないようにも思われた。しかし、関わりたくもない。ハジメは若干視線をうろつかせる。  と、そこで一冊の本に目が止まった。分厚い本だ。真っ白い表紙に金色の文字が刻まれている。そして、ずいぶん古そうだった。 「その本......」 「ん? まだ、食い下がるの。でも、これに目が行くとは少しはものの価値が分かってるみたいね」 「なんだと」 「なにを隠そう、これが私に大金を与えてくれる素晴らしい魔導書なのよ」  そう言ってカナタはドンと台の上にその本を置いた。近くで見るとさらにその豪奢さが分かった。見るからに普通の書物では無いことがハジメにも分かる。 「ディアン・ケヒトの魔導書。カテゴリー5。魔導書としては世界最高クラス。日本で言えば国宝に指定されてもおかしくないものなんだから」 「な、なにぃ」  ハジメは驚愕する。なんだってそんな大事なもんをこんな公園のド真ん中で生身のまま置いてんだ、馬鹿なのかとハジメは思った。 「売れば数千万は間違なし。下手すれば億にも届くかもって感じなの。あんたみたいな貧乏な高校生には縁の無い話でしょうけど」  ふふん、とカナタは得意げに笑った。  ハジメはもう言葉が続かない。正直もう怖気づいていた。国宝とか言われてもビビるだけだった。さっきまで同年代の言い争いで、それに勝つか負けるかの世界だったというのにいきなりだ。  ハジメは魔導書という単語に正直興味はムクムク湧いた。ワクワクが止まらないといった感じもあった。  しかし、数千万だの数億だのと金額が付くとどうも怖くなった。残念ながら住む世界が違う。ハジメには何かカナタと自分の間に見えない壁が存在しているかのように感じられた。ひとつ高いものを見せられたこうなるのはハジメが小市民だからに他ならなかった。だが、仕方なかった。ハジメはただの高校生だ。 「どうやら、言葉も出ないようね」 「お、おう....」 「ちょ、ちょっと。なんか一気に声が小さくなったわね。そこまでビビるとは思ってなかったけど」 「い、いや...な.....」  ハジメはもう、あんまり声が出なくなっていた。もう、後は帰るだけだと思っているところだ。自分には関わり合いの無い世界だろうともはや守りに入っている状態である。ハジメは普通の高校生である。 「ま、まぁ良いわ。そういうわけだから。分かったらさっさと行った行った」 「あ...ああ....」  ハジメは反射的に怖気づいて、関わり合いの無い世界だと思ったのだ。しかし、一瞬遅れて気づいた。そういう判断が普通なのだと。自分はやはりつまらないと。  そして、カナタは普通では無いのだと思った。こいつはメチャクチャだが、きっとこいつの周りでは普通では無いことが起きるのだろうと。自分とは違うと。ハジメは思った。  一矢報いるつもりが重ねて敗北感を味わったハジメだった。なにか、一層憂鬱になりながらハジメはカナタに背を向けた。 「な、なに。そこまで落ち込むの?」 「いや、なんでも無いさ。お前とは関係の無い話だから」  そう言ってハジメは改めて駐輪場に歩き出した。ちょっとしたハプニングとしては面白かったと思いながら。しかし、もう終わってしまってこれといって日常に影響は無かったと残念に思いながら。 「良くわかんないヤツ。高校生は多感ってやつかしらね」  それを見送るカナタ。トボトボ意気消沈して歩いていくハジメを不思議そうに見送る。  と、 「良い本だなお嬢ちゃん」  いつの間にか、カナタの目の前に誰かが立っていた。 「あ、いらっしゃいませ。占いでしょう.....か.......」  しかし、その人物を見てカナタは徐々に言葉を失った。  目の前の男は奇妙な出で立ちだった。ジーンズにパーカー、そのフードを目深に被っている。そこまではまぁ、異常の範疇ではない。しかし、そのフードの中身、顔には仮面が張り付いていた。そして、ふざけたことにその仮面にはへのへの茂平爺が書かれていた。 「不和...残罵......」  カナタはその男を知っていた。そして、瞬時に台の下に隠していたものを取り出す。  それは赤い本、分厚いカナタの魔導書だった。カナタはそれを開き、手をかざす。その動作は流れるように瞬きする間に行われた。  そして、公園の一角で巨大な爆炎が発生した。
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