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「おっと、こいつは失礼。なんだ、郵便屋じゃないか」
浮ついた声にピートが振り返ると、襟元にフリルをつけたシャツにえんじ色のベストを被せた長身の楽師隊の男が、高い位置からピートを見下ろしています。
「おい、気を付けろよ。大事な荷物に傷が付くところだったじゃないか」
「はっはー、そんなにカッカするな、郵便屋」
楽師の男はピートを値踏みするように見回すと、日に焼けた顔をニヤつかせながら軽い調子で言葉を返します。
「こんな良い陽気の日に仕事なんかしている奴が悪い。俺の故郷じゃ、こんな日は誰も働かないぜ。そんなことよりだ。俺様宛に手紙はないのか、郵便屋」
長身の楽師はそう言うと、長い腕を伸ばしてピートの肩から郵便鞄を取り上げます。
「来てるはずだ、勿体ぶるなよ。俺様宛のラブレターが山程あるはずだ」
「おい、止めろ。鞄を返すんだ」
長身の楽師はピートの抗議など意にも介さず、郵便鞄の中から手紙の束を取り出し始めます。
「何て事をするんだ。人の手紙を勝手に覗くなんて。郵便法違反だ、犯罪なんだぞ」
ピートは顔を熟れきったトマトのように真っ赤にして、鞄を取り返そうと手を伸ばしますが、長身の楽師はむしろそんなピートの反応を面白がっている様子で、ひらりひらりと踊るようにピートの手をかわします。
「はっはー、えらい堅物だな、郵便屋。俺の故郷じゃ、お前みたいな奴を〝目のないサイコロ〟って呼ぶんだ。四面四角で面白味がないって意味さ。もっと人生を楽しんだらどうだ」
「余計なお世話だ、こいつめ。鞄を返せ」
長身の楽師は郵便鞄を闘牛士のマントのようにひらつかせて、突進してくるピートを寸前でくるりと避けて見せます。
楽師が靴の踵を打ち鳴らしながら滑稽な仕草でピートをかわす度、集まった群衆から歓声が上がります。衆人の視線が自分に集まっている事にすっかり気を良くした楽師は、さらに芝居がかった仕草でピートをからかいます。
「どれ、それじゃ一つ、バンジョーの天才トニオ様がこの目のないサイコロに人生の楽しみ方を教えてやろう」
トニオと名乗った楽師はピートに鞄を投げ返して、噴水の縁に置いていた細長い首に丸いお皿がついたような楽器を手に取ると、ピューイと指笛を吹いて声高らかに歌い始めます。
「ヨーレ、オレオレオ」
トニオの指笛を合図に、他の楽師やコーラスガール達があっという間にピートの周りを取り囲み、一斉に楽器を演奏し始めます。調子を上げたトニオは、ピートには名前も分からないその弦楽器を激しく鳴り響かせながら、軽やかなステップでコーラスガールと息の合ったダンスを披露します。
これには集まっていた音楽好きの群衆達もいてもたってもいられなくなり、思い思いの相手と手を取り合って、陽気な曲に合わせて踊り始めます。
瞬く間に広がっていくダンスの輪の中で、ただ一人、周りの雰囲気についていけずに目を白黒させて突っ立っているだけのピートを、コーラスガール達が強引に踊りの輪の中に連れ出します。
「止めてくれ。僕はダンスなんて踊ったことないんだ」
ピートは必死になって叫びますが、ダンスのパートナーは次から次へと入れ替わり、その度にピートの身体はくるりくるりと振り回されます。そうしている間にも、噴水の周りには人が押し寄せてきて、広場はすっかりダンスパーティーの会場となっています。
天地も分からなくなる程に踊り回らされた後、やっとのことでダンスの輪から抜け出したピートの背中に、トニオのよく通る高い声が降りかかります。
「じゃあな、郵便屋。明日は俺宛のラブレターをたんまり持ってこいよ」
ピートはもう怒る気力も起こらずに、ふらふらした足取りで逃げるように噴水から離れて行きました。
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