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「何をぼけっと突っ立っておる」
不意に後ろから浴びせられた声に、ピートは心臓が止まるかという程に驚いて、手にしていた郵便の包みを落としてしまいます。
振り向いたピートの前に、立派な口髭を蓄えたエプロン姿の老人が、いかにも怪しいものを見るかのような険しい顔でピートを見上げています。
「何も見ていませんよ、グラントさん。きょ、今日の配達分です」
ピートは落としてしまった郵便物を大慌てでかき集めて、グラント氏と呼んだ花屋の主人の前に差し出します。花屋の主人は郵便物を受け取ると、何かを疑うような目つきで冷や汗をかいているピートの顔を覗きこみます。
ピートはいたずらを叱られた子供のような気持ちで、それでも引きつった顔を精一杯歪めて笑顔を返します。
花屋の主人はまだ不満そうにフンとひとつ鼻を鳴らすと、踵を返して店の中に下がっていきます。
店の主人の姿がカウンターの奥へと消えるのを見送ってから、ピートは大きくため息をつきます。
「ふぅ、まったく今日は何て日だ」
うっかりそう呟きながら公園の方を振り返ったピートの目が、大きな鳶色の瞳と合います。先程の娘が何か言いたげに長丈のスカートを握りしめながら、真っ直ぐに見つめて立っているのです。
ピートの心臓は今度こそ止まりました。
「あの、郵便屋さん」
「は、はい。何でしょうか。お嬢さん」
ピートは硬直した表情筋を無理やり動かして、ぎこちない笑顔を作ります。
「あ、あの、配達品の中に私宛の、ベル宛のものはなかったでしょうか」
花屋の娘がためらいがちに尋ねる言葉の端に、特別な思いがあることを感じ取ったピートは、カチカチに固まった頭を全力で回転させ、本日分の花屋宛の郵便物の宛名を思い出します。けれども、思い出せる限りの宛名の中に娘の名前はありませんでした。
「いいえ、お嬢さん。郵便は全部お店宛で来ていました」
それが彼女の期待している答えではないことを分かっていたピートは、なるべくゆっくりと静かな口調で伝えます。
「そうですか、ありがとう」
花屋の娘は鳶色の瞳を伏し目がちにしながら、一段下がった調子の声で礼を言います。ピートは心が締め付けられるような気持ちになって掛ける言葉を探しますが、いったい何を言えば良いのかまったく思いつきません。
その時、店の奥から娘の名を呼ぶ枯れた声が聞こえます。
「ベル、ベル」
花屋の娘は、名を呼ぶ父親の声に気を取り戻すと、清んだ高い声で返事を返し、ピートに軽い会釈をして店の奥へと戻って行きます。
「ふぅ、まったく今日という日は」
ピートは考えのまとまらない頭のまま娘の姿が戸口に消えるのを見送ると、また一つため息をついて、白くぼやけた陽の差す公園を帰って行きました。
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