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その日の配達を終えピートが家路につく頃には、辺りはすっかり暗くなり、路地の家々の窓からは晩御飯の美味しそうな匂いと家族で団らんを楽しむ明るい声が漏れてきます。宵時の大通りでは、建ち並ぶ飲食店の窓から弾むような談笑、グラスを打つ音、ピアノの伴奏に合わせた歌声が溢れてきます。
ピートはひとり自転車を押しながら、夜の街の喧騒の中を抜けて、街灯の灯るアパートの前の坂道をゆっくり上がって行きます。
月明かりに照らされた四階の窓辺から、白いスパティフィラムの花が主人の帰宅を静かに見下ろしています。
「ただいま。リリー」
ピートは自室の窓を見上げて可憐な白い花に挨拶すると、アパートの脇に自転車を止め、色ガラスのついた玄関の扉を開けます。
玄関を入ると、細長い廊下のつきあたりに見える階段を賑やかな笑い声が下りてきます。ピートが古い階段を軋ませながら上がるにつれて、男女の笑い声にビンやグラスがぶつかる音、コルクを抜く弾けた音、ガラスが割れるような音まで聞こえてきます。
〝パーティーの主催者はどうやら三階の寝ぼすけらしいな”
ピートが三階の廊下を通り過ぎようとした時、急に目の前の扉が勢いよく開いて、顔を真っ赤にした男がおぼつかない足どりで飛び出してきます。ピートがとっさに身をかわすと、すぐに扉の中から若い女性が現れて、男を連れ戻していきます。閉じていく扉の間から泥酔した男をからかう笑い声が漏れます。
ピートはそそくさと三階を抜けると、踊り場を回って、四階の自室の扉に鍵を刺します。
明かりのついていない部屋では、窓から差し込む月明かりが光りと影のモノトーンの世界を作り出しています。一面グレーの世界の中で、スパティフィラムの花が薄い光りをまとわせ窓辺から微笑みかけます。
ピートは玄関のコート掛けに鞄と帽子を下げると、明かりをつけないまま窓際の椅子に腰を下ろし、窓の外を眺めます。
町外れの丘の上に建つアパートからは、夜の街が一望できます。遠い視線の先にみえる一際光の集まっているところは噴水広場です。
ピートの頭に昼間の広場での一件が思い起こされます。
「目のないサイコロか、あいつの言う通りかも知れないな。確かに、僕には酒を飲み交わす友人も、歌やダンスを一緒に楽しむ恋人もいない」
きっとあの灯りの下では、皆が友人や恋人と楽しい時間を過ごしているのだろう。
そんな考えが頭をよぎって、ピートは急に自分がこの街で一番に寂しい人間なのではないかと思えてしまいます。
「そんなことないさ、僕は十分に幸せだ。それに友達ならリリーがいるじゃないか」
嫌な考えを振り払うためピートがわざと大きな声を出した時、ガラスの割れる大きな音がして、階下の窓から何かが飛び出していきます。
ピートが立ち上がって窓の下を覗くと、片方だけの靴がアパート前の坂道を転がっていくのが見えます。どうやら酔っ払った誰かが窓から靴を放り投げたようです。
「それに、片足を裸足のまま仕事に行かずにすむしな」
ピートは呆れた顔でそう言うと、カーテンを閉めて窓辺を離れます。
階下の騒ぎはピートが深い眠りについても終わることはありませんでした。
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