【神並類(かんなみ・るい)さまの思い出】

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【神並類(かんなみ・るい)さまの思い出】

「大学生の時、出逢った女が居た。まだ女が大学まで行くのは珍しい時代だ、ただでさえ目立つのに、これまた美人で器量もよくて、大学中の男が彼女を狙っているんじゃないかってくらい、ちやほやされていた」 私はスツールを勧め、コーヒーをお出しします。 「だが、彼女が声を掛けるのは俺だけだった、俺は鼻高々だった。でも自由恋愛が珍しい頃ではなかったが、俺が彼女に気後れしエスコート役に徹して、それ以上の関係にはならなかった。でも、それを後悔したのは──卒業が迫った冬だった」 コーヒーをひと口飲んで、ほう、と全身から溜息を吐きました。 「婚儀が決まった、卒業したら輿入れすると言われた」 そう言ってから暫くは室内に沈黙が落ちます。私から口を開くのは憚れました。 「──彼女はいいとこのお嬢さんだった、学歴など結婚の為の材料でしかないと言っていた。でも、俺に逢えて嬉しかった、いい思い出になったと……最後にもうひとつ思い出をくれと言われた、デートをして欲しいと。駅で待ち合わせをして、映画を観て、図書館に行って、喫茶店で時間を潰した。その時着ていたのがこのスーツだ。後にも先にも、その時だけ着たスーツ」 老人は愛おしそうに作業台に広げられたスーツを撫でます。 「今の若いもんは、すぐにキスだなんだとやるが、俺の頃は違った。ましてや輿入れの決まったお嬢さんとなんぞ手すら繋がなかった。それでも忘れられない、最高の思い出だ」 「──はい、素敵です」 どんなに素敵な女性だったのだろうかと想像が膨らみました。 「それを胸に、俺も他の女と結婚した。嫁もだいぶ前に亡くしたが──彼女も亡くなったそうだ、もう半年になるらしい」 少し怒ったような口調が気になりました、その答えはすぐにくれました。 「共通の友人だ、彼女と仲のいい女が連絡を取ったら、死んだと言われたらしい。線香をあげたいから家に伺いたいと言ったら、もう墓に入ってるからそちらへどうぞと言われたそうだ。旧知の友人が見舞いたいと言ってるのに、そんな態度はないだろう。俺なら家に上げて思い出話でもしたいと思う。きっと冷たい男だったに違いない、そんな男に嫁いだ彼女を、今更ながら可哀想だと思った」 女性の事を知りもしない私は、肯定も否定もできませんでした。 「その男が言った通り墓参りに行くんだ。それは彼女を迎えに行く為に。最初で最後のデートをした、あの時と同じ服を着て。あの日言ってやれなかったことを伝えるために──」 老人の目頭が微かに光ったのが判ります。 「──何をおっしゃるのですか?」 「そんな事、君には言えん」 少し拗ねたような顔をしてそっぽを向きました、その顔は少年の様です、既に大学時代にまで心は還っているのでしょう。 「承知しました」 私の声に、老人ははっと顔をあげます。 「(るい)さまの作戦のお手伝いをさせてください。精一杯お仕事をさせていただきます。似たような布で穴を塞いで何度もミシンを掛けるような直し方になりますが、そのようなものでよろしければ」 あとはかび臭さを取って、染み抜きも致します。簡単なお仕事ではありませんが、これもスキルアップにはよいでしょう。 現に類さまは嬉しそうにお礼をおっしゃいます、それだけでもよい仕事を引き受けたと思えます。 大学時代のあの日、きっとおふたりとも一世一代の大切な言葉を胸に秘めていたのでしょう。 何十年も時を経て、死がふたりを分かちましたが、また交差することもあるかもしれません。 どうか、私の仕事が、あなたの気持ちに寄り添えますように。 終
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