イヒカ

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イヒカ

赤い火の粉が夜空へ舞い上がる。 「カグツチ ノ カムノ カシミヨ」 スーの顔が炎に照らされ燃えているように見える。顔中に施された刺青がまるで生きているかのようにうごめいた。 赤と黒の刺繍が幾何学模様に施された裾の長い服をまとい、胸には大きなヒスイのネックレスが光っている。両耳には耳に開けた穴を広げてはめ込んだ、これもまた大きなヒスイが入っている。 最近は寝ていることの多いスーの目は、もう何年も開けられたことはなく、開いたとしてもほとんど何も見えていない。その目が今は大きく見開かれ、真っ赤な炎をその瞳に映していた。 スーは集落を代表する祈りの名手であり、イヒカの祖母でもあった。 今夜トゥーンの前にはサンナイの人々と、今日イトからやって来た人々が集まって来ていた。 サンナイの身重の女が一人、群衆の中から歩み出た。スーは手に持った土偶と突き出た女の腹に少量のニワトコ酒をかけた。 「コノ ウツシヨニ ウマレイデ」 スーは高らかに祈りの声をあげると、土偶を地面へ叩きつけた。 女を模った平らな十文字の土偶は身重の女の身代わりだ。男たちは狩りの怪我が原因で死ぬ者が多かったが、女たちは出産で命を落とす者が多い。 自身が生まれる時に母を焼き殺したという火の精霊に祈ることで出産の安全を願うのだ。土偶には邪悪な精霊が封じ込められていて、それを壊すことで女を守る。 このソラは光と影、陰と陽、森羅万象に宿る精霊と邪悪な精霊からなっている。 この世界に起きる災は全て邪悪な精霊の仕業だ。他の精霊と違って邪悪な精霊は一つだ。時と場所により形を変え、人や他の精霊たちに乗り憑り、ときにいろんな悪さをする。それはこの世界に影のようにピタリと張り付いていて、いつでも機会を狙って息を潜めている。 割られた土偶の破片をひとかけら大事そうに持ち去って行く者が何人かいた。イトから来た男女も混じっている。子宝と将来の出産の安全を願う者がそれぞれ持ち帰り、家の中に埋めたり、神聖な場所に保管するのだ。 儀式が終わると人々は持ち寄った物を広げて飲み食いを始めた。 「イヒカ」 見るとミトおばさんが手招きをしている。手にはクッキーが握られていた。 「ありがと、ミトおばさん」 イヒカはクッキーを齧った。ほのかに甘い香りが口の中に広がる。 ミトおばさんのクッキーは美味しいので評判だった。
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