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「それよりこれ綺麗だろ!」
タケリはイヒカの顔に水をかけた。イヒカも負けずに水をかけ返す。
さんざん二人で水をかけ合い遊んだあと、浜に並んで座って海を眺めた。
「すごい、なんで青い?」
「羽虫だって」
イヒカは男の話をタケリにしようかと思ったが、なんとなく黙っておくことにした。
夏と言えども濡れた体に夜風が冷たい。
「イヒカ、そろそろ帰ろう」
「うん」
丘の上を見ると、もう男の姿はなかった。
途中でタケリと別れ、自分の家に向かっていると、イヒカはまた男の姿を見つけた。男はトゥーンの方へと歩いて行っている。
イヒカには気づいていない。そのまま男の跡をつける。
トゥーンの前にはもう誰もいなかった。儀式の炎の跡がうごめきくすぶっているだけだった。
男は一旦トゥーンの前で足を止めると、トゥーンを見上げ、そして中へと入っていった。
イヒカは驚いた。男はいったいトゥーンで何をしようとしているのだ。
トゥーンの内部は二層になっていて、細い階段で繋がっている。下から見上げる階段の先は遠くてよく見えなかったが、上の部屋はトゥーンの高いところにあるようだった。
下の部屋には様々な物が供えられている。
サンナイで栽培された栗の実やマメやゴボウ、野ウサギやムササビの肉の燻製。大きな土器にはいっぱいのどんぐりの実。ニワトコ酒もある。
今日はイトからのサバやブリの干物、イノシシの肉が供えられているだろう。
普段人々が入るのは下の部屋だけで、上の部屋は祈りを捧げる者だけだ。イヒカも上には上がったことはない。
イヒカは足音を立てないようにトゥーンに近づくと、そっと中を覗いた。
供え物のイノシシの肉を貪る男の姿が目に飛び込んできた。イヒカは驚いて尻もちをついた。
男が振り返る。脱兎のごとくイヒカはその場から駆け出した。
供え物をあんな風に食べるなんて、精霊たちを怒らせてしまったらどうするのだ。長い間雨が降らなかったり、狩りの獲物がいなくなってしまうかもしれない。
辺りが薄暗くなった。見上げると月が雲にかかっている。
「アマノヤヘグモヲ」
イヒカの声が夜空に駆け上がった。星の瞬きのように高い旋律が澄んだ空気を震わせる。
しばらくすると雲を払うように月が顔を出し、イヒカの顔を照らした。
イヒカは祈り続けた。
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