プロローグ

3/4
前へ
/85ページ
次へ
イヒカは何気に集落の方を振り返った。 サンナイを象徴するトゥーンが浜を見下ろしている。トゥーンは赤と黒で彩られた巨大な祭壇だ。 初めてサンナイを訪れる人たちは、皆このトゥーンに圧倒される。空へとそびえ立つトゥーンは六本の巨大な栗の木で支えられている。トゥーンはサンナイの象徴でもありサンナイの人々の誇りでもあった。 今日も初めてサンナイを訪れたと思われる若いイトの青年が口を半開きにしてトゥーンを見上げている。 それを見るとイヒカは体のどこかが少しくすぐったいような誇らしげな気持ちになった。 青年の顔には成人した明かしである顔の刺青の他に右側の眉の上に赤い線が引かれている。それは青年がまだファンを持っていないことを意味していた。 成人した男女はお互い気に入った相手を見つけると二人で新しい家を作りファンになる。昔は男が女のファンに通ったり、一緒に暮らすのが普通だったらしいが、最近は二人で新しいファンを作るのが主流だ。 人口の多いサンナイではサンナイ出身者同士でファンになることも多かったが、他の土地では離れた土地で相手探しをするのが普通だった。 それでも同じ小さな集落内でお互い惹かれあったり、他にやむを得ない理由でファンになった男女もいるが、二人から生まれた子どもが成人することは稀だった。 小さな弱い集落ほどその傾向が強かった。 時代が変わったとはいえ、男が女の集落内に移り住むのが普通で、男が女を自分の集落に連れて行こうとするものなら、女の母親が大激怒して、男は二度と女に近づけなくなってしまう。 ファンの中で母親の力は絶対だった。 船を持つ規模の集落ならばまだしも、そうでない集落出身の若者は歩いて他の土地に行くしかない。どうしても脚力の弱い女たちは、――男なみに強い女もいるが――自らが出向くより成人した男たちが自分の集落を訪れるのを待つことが多くなる。 中には大集落を嫌って、小さな集落で静かに暮らしたがる若い男もいるが、多くは自分の住んでいる集落より大きな集落を好んで相手探しに出かけた。 そんな理由で大きな集落はより大きく、小さな集落は消滅していった。 若者たちが相手探しをしたい集落ナンバーワンは、言うまでもないイヒカの住むサンナイだった。
/85ページ

最初のコメントを投稿しよう!

60人が本棚に入れています
本棚に追加