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「ごめん、待たせたかな?」
西城さんが荷物を手に僕のところにやってきた。
「大丈夫。課題とかしてたから」
さっとテーブルの上に広げていたプリントをまとめて鞄に収める。
「それじゃあ、帰ろうか?」
立ち上がり鞄を肩に掛けながら声を掛ける。西城さんは柔らかな笑顔で頷いた。
そのまま並んで歩き始め、図書室を出て、廊下を歩き昇降口へ。クラスが違うので別々の列の下駄箱で靴を履き替え、待つこともなくまた並んで歩き始める。
昨日までの僕なら、こういうなんでもないことでも西城さんとはタイミングというか行動のリズムが合うので気持ちは弾んでいたかもしれない。
だからこそ、これからどうしようかと頭を悩ませてしまう。今までなら、本屋やカフェなどに自然と足が向いていたのだろうが、そういう気になれない。
校門を抜けたあたりで、突然、目に見える風景が変わる。未来の記憶が突然再生され始めた。
*
いつも使っている駅が見えてきた。そこで隣を歩く西城さんが突然足を止めるので、僕もそれに合わせて立ち止まる。西城さんが上を見上げるのでつられて視線をあげると、青から藍色に変わりつつある空が見えた。
「もうすっかり葉桜になっちゃいましたね」
その言葉で空でなく桜を見上げていたのだと知り、桜に目をやり、「そうだね」と、相槌を打った。
「そういえば、初めて岩月君と会ったのここなんですよ? 覚えてます?」
「そりゃあ、覚えてるよ」
「じゃあ、これは覚えてますか?」
そう言って、鞄から小説を取り出し、そこに挿んでいたしおりを手渡してきた。西城さんが使ってるしおりの柄まではさすがに知らないので困っていると、西城さんが隣でくすくすと笑い、そのしおりの秘密を話してくれる。それに思わず納得と感心をしていると、突然、
「私はきっとそのときに岩月君のこと好きになったんだと思うんですよね」
と言われ、付き合ってほしいと告白される。僕の返事を聞いた西城さんは声を殺して涙を流し続けた――。
*
ふっと未来の記憶の再生が終わり、現在に戻ってくると、隣を歩く西城さんは楽しそうに笑っていて、歩くたびにポニーテールが揺れている。最近見慣れてきたいつもの横から見る姿に僕は心が痛くなってくる。
空を見上げると、藍色に変わりつつあった。
このまま駅に真っ直ぐに行きたくないと思ってしまうが、場所を変えたところで同じ話をすることになるのだろう。
「岩月君、どうかした?」
「いや、大丈夫」
「ほんとに? なんだか顔色悪いよ?」
「辺りが暗くなってきたから、そう見えるだけじゃない?」
「そうかな?」
西城さんは心配そうにのぞき込んで来たが、すぐに前を向いて、歩き始める。そして、今読んでいる小説が当たりっぽいと話し始め、ネタバレを避けながらどういう内容なのかをさわりだけうまく教えてくれる。
「じゃあ、読み終わったら貸してあげるよ」
西城さんは数歩駆けていきくるりと反転して僕に笑いかける。そして、追いついた僕に合わせてまた隣を歩き始める。西城さんがどこかテンション高いのが分かる。その理由はきっと――。
そんなことを考えていると、駅が見えてきた。
西城さんは急に立ち止まり、僕もそれに合わせて立ち止まる。西城さんが上を見上げ、物憂げな表情を浮かべる。僕は何を見ているのか知っているので、見上げることをしない。それだけじゃなく、これから何が起こるか分かるので、西城さんの方を真っ直ぐに見れない。
「もうすっかり葉桜になっちゃいましたね」
足元に落ちている桜の葉を見つめながら、「そうだね」と返事をする。
「ねえ、岩月君。初めて会ったのここなの、覚えてますか?」
「うん、覚えてる」
「じゃあ、これは覚えてますか?」
西城さんは鞄から小説を取り出し、挿んでいたしおりを抜いて手渡してくる。そのしおりは一見すると、和紙のような紙をラミネート加工しているだけのシンプルなものだ。今見えている面を裏返しにすると、そこには一枚の桜の花びらが押し花にされてアクセントのように配置されている。
僕はこのしおりが意味することを知ってしまっている。だけど、言葉にならず黙っていると、西城さんはくすくすと笑い始める。
「さすがに覚えていないですよね? これはあのとき助けてくれた時に私の髪についてたって渡された桜の花びらなんですよ」
僕はその花びらのことを言われるより先に思い出してしまっている。
「それでこんな話を聞いたことないですか? 地面に落ちる前に取った桜の花びらをいつも持ち歩くと幸せになれるとか願いが叶うとか」
そう言いながら照れ笑いをする西城さんの願いを僕はすでに知っている。
「私はきっとあのときに岩月君のこと好きになったんだと思うんですよね」
西城さんは僕のことを真っ直ぐに見つめてくる。その視線を僕は受け止めることができない。
「私が桜の花びらにかけた願いはですね、岩月君と一緒にいたい、付き合えたらいいなってことなんです」
僕はその言葉に胸を締め付けられてしまう。中迫順子という女の子と関わらない未来なら僕は喜んで気持ちを受け入れることができただろう。きっと目の前の西城涼葉という女の子とは縁がなかったのだろう。そんな未来は僕には見えなかったし、訪れなかった。
どうして西城さんについて見える未来は、彼女はいつも傷ついているのだろうか。今度は最初のように傷つく未来を回避することができない。だから、苦しくてもはっきりと答えを言わなければならない。
「気持ちはすごい嬉しい。だけど、僕は西城さんの願いには応えられない」
「そっか……」
西城さんの顔が曇っていくのが分かる。きっとこのまま「ごめんなさい」と話を締めると見えた未来のようにただ悲しい涙を流させてしまう。自分勝手なのは分かっているが、西城さんに傷ついてほしくないと願っている僕がいる。
「だから、僕は……僕は――」
何か違う言葉を探すが適当な言葉が出てこない。こういうときに今まで読んできた小説に出てきた気の利いた言い回しを引用できればいいのだろうがそれもすぐには思いつかない。
「なんで岩月君がそんな苦しそうな顔をするの?」
その言葉は未来の記憶では聞いていない。驚いて、思わず顔を上げると、西城さんが涙を目にためたまま尋ねてくる。
「今、苦しいのは私の方なのに、どうして?」
「僕は――西城さんが傷つくのを見たくないんだ」
「じゃあ、私の告白断らなければいいじゃん」
西城さんは呆れたように表情を緩ませ、すっと頬を涙が伝う。僕はゆっくりと首を横に振る。
「そうかもだけど、僕は西城さんとは付き合えない」
「どうして?」
「気になってる女の子がいるんだ。それで理由はうまく説明できないけど、その子とは未来が見えたんだ」
「なにそれ? 意味わからないよ」
「……だよね」
西城さんと顔を見合わせて思わず笑みがこぼれた。返すのを忘れていたしおりを西城さんに返しながら、一つだけ自分のわがままを言ってみようと思った。
「西城さん、あのさ――」
「なに?」
「そのしおりの桜の花びらにかけた願掛け、一緒にいるってのは叶えられないかな? 西城さんの願った関係とは違うだろうけど」
西城さんはしおりの花びらを見つめているようだった。
「僕は西城さんのこと友達としては一番大事な存在なんだ。本のことで話して笑って――そんなことできる人、今までいなかったから」
西城さんは僕の言葉を聞きながら黙っている。そして、わずかに震える唇から声を絞り出す。
「岩月君はずるいです……」
「……ごめん」
思わず口からさっきまで言いたくなくて避けていた言葉が漏れ落ちる。
「謝らないでください。だけど、やっぱりずるいです。岩月君はひどいです。そんな風に言われたら、私はその言葉にすがりたいと思ってしまうじゃないですか。私にとっても岩月君は本のことを好き放題に話せる相手で、心の底から一緒にいたいと初めて思えた相手で――」
西城さんは唇をきゅっと締め、なおも収まらない震えを唇を軽く噛んで止めようとする。そして、大きく息を吐いて、
「私と友達になってくれますか?」
と、顔を上げて出来る限りの笑顔で尋ねてくる。しかし、目からは涙が流れ続けている。
「もちろん。こんなずるい僕でよければ」
「ありがとう。だけど、岩月君はずるいだけじゃないですね」
西城さんは悲しそうなのにどこか楽しそうな不思議な表情浮かべながら、
「ダメだと言われたばかりなのに、好きになっちゃうくらい優しい人です」
と、葉桜が風に揺れる音に合わせて僕に言葉を届けてくる。
そして、動けずにいる僕の横を通り過ぎて一人、駅に向かって歩き出した。僕はその後ろ姿をただ見つめることしかできなかった。西城さんが泣いてしまうという結果は変わらなかったが、僕は少しは未来を変えられたのだろうか。
きっと僕はこの先、葉桜を見るたびに、涙を流しつつも笑顔を浮かべた西城涼葉を思い出すだろう――。
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