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彷徨う人 1
夢の中で、僕はいつも同じ人を探している。探しても探してもどうしても見つからない人の名は、流水。僕の大切な弟だった人だ。
僕と二歳の年の差でこの世に生まれてきた流水とは、本当に仲睦まじく成長してきた。年下の弟が可愛すぎて溜まらなかった。そんな弟がどんどん僕の背を追い抜かし、逞しく成長してしまい……僕の心は、次第に弟へと色づき反応し始めた。
兄弟の愛は、いつのまにか禁断の愛へと変わってしまった。
歪んだ愛へと育ててしまったのは、僕だ。
僕の弱い心がお前を追い詰めた。
そうだろう? だから……僕の前から突然、姿を消してしまったんだよな?
でも……じゃあ……何故、お前は最後に僕を抱いた?
あれは夢なんかじゃない。
お前は夢にしたかったかもしれないが、痕跡が残り過ぎていた。いや残していってくれたのか……
だが僕の躰の奥深い場所に、お前の名残りを置いていくなんて残酷だ。あそこはお前しか触れられない場所だ。永遠にお前のための純潔。
残酷過ぎたよ……
胸が張り裂けそうな程、逢いたくて、四方八方手を尽くしたが見つからなかった。だから、もうこの世ではきっと巡り逢えない人になったのだと、いつしか一人寂しく悟るようになった。
「流水……」
突然、竹林の陰に濃紺の作務衣姿の男性の姿が過った。
長めの髪を無造作に後ろで束ねて……あぁよく見慣れた彼の姿だ。
顔を見せてくれないか。
なのに……夢の途中で涙で視界が曇り、やがてすべてが白く靄がかってしまう。いつもここまでだ。ここまでしか見ることは出来ない夢だった。
「お父さま~ってば、もうとっくに朝よぉ。起きて」
突然、現実に引き戻された。
頬に小さな手の温もりを感じ、ぺたぺたと触れる楓のような手のひらに、自然と頬が緩む。
「あぁもう! また泣いていらっしゃる。そんなんだからなかなか眼が治らないのよ」
「あぁ辰子(たつこ)か、おはよう」
「そうよ、やっぱり今日も見えない?私のお顔……」
しょんぼりと呟く辰子の声にはっとする。こんな幼い娘を悲しませて……僕の眼は一体どうなってしまったのか。
眼を開けても、やはり視界は白くぼやけたままだった。辰子の輪郭さえも歪んで見分けがつかないなんて……
いつからだろう流水が失踪してすぐ、祖父の命令により都内の由緒正しき寺から彩子さんを嫁にもらった。すぐに彼女は妊娠し、辰子が生まれた。
あの頃は祖父の厳しい監視もあり、暫くは流水のことは心の奥に沈め、子育てと住職の仕事に没頭した。
そんな祖父も昨年亡くなり、辰子は五歳になっていた。きっと可愛らしい少女になるだろうと楽しみにしていたから……早くしっかりと顔を見たいのに、僕の視力はどんどん悪くなっていく一方だ。
医者にかかっても原因不明で、精神的なものから来ているだろうという診察だった。『心因性視覚障害』という病名がついた。
妻の彩子も必死に献身的に介助してくれている。なのに……どうして……
僕の視界は暗黒ではなく白くぼやけている。光や闇を感じることが出来ても、色が白一色で、物も人も判別できないのだ。
なんてことだ、こんなことになるなんて……。
これじゃ、流水を見つけられないじゃないか。いや……それとも流水が見つけて欲しくないと強く願うから、僕の眼はこんな風になってしまったのか。
「湖翠さん、おはようございます」
「おはよう、彩子」
幸い視力に不調をきたしても、住職としての仕事はなんとかこなせていた。
眼以外は健康だった、もちろん声帯に異常はないから読経に障りはなく、本堂の中のことなら長年染みついた癖で、目がみえなくともどこになにがあるかは分かった。
「湖翠さん、あの……今日はお願いがあって」
「何?」
「実は京都に眼病によく効く温泉があると、檀家さんから教えてもらったの。思い切ってこの春に、そこに旅行してみません?」
「旅行? でも寺は……どうする? 僕がいないと」
「一週間程度なら、私の実家の兄が住職の仕事を代行してくれるそうです」
「そうか……京都か」
京都……そこは、僕の大事な夕凪のいる場所だ。僕と流水はいつか宇治で暮らす夕凪の元を訪ねに行こうと夢いていた時期もあった。京都の観光名所について酒を飲みながら、楽しく仲睦まじく語り合った日々も確かにあった。
「ねぇ、行ってみましょうよ」
「そうだね、辰子も小学校へ上がる前に旅行をしたいと言っていたしね」
「よかった。じゃあ早速手配しますわ、湖翠さんに早く良くなって欲しくて……私の大事な旦那様ですもの……」
突然、彩子が僕に口づけしてきた。
「あっ辰子は?」
「大丈夫。お庭で遊んでいます」
「……そう」
少しだけ紅の味がする口づけを、僕は受け入れていく。
彩子には、何も返せないから……
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