白き花と夏の庭 8

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白き花と夏の庭 8

 東京・日本橋 「信二郎、また頼めるか」 「あぁ、いいぞ」 「助かるよ。急ぎの仕事なんだ。しかしお前いつまでこっちにいるんだ? お前ほどの腕前があれば、いつでも独り立ちできるのに」 「……そうだな」  気が付けばもう、あれから一年という月日が経っていた。夕凪を探し上京し逢えない日々をただひたすらにこの地で流されるように過ごした。幸い京で磨いた絵師としての腕を買われ呉服問屋に雇われ、日々指定されたものを描くことだけに徹していた。  京にいた頃のように自分が描きたいものを描く世界ではない。下絵をなぞるような、そんな単調な作業。それでも今はそれが良かった。楽だった。  何故なら何も考えないで済むから。  京にいた頃は、一宮屋の若旦那、夕凪に逢えるのが楽しみで仕事にも精が出たし、夕凪を見れば創作意欲も溢れんばかりに湧いて来たというのに。  君という光を失った今、私には想像力が消えてしまった。  そう……情熱も何もかも。でもまた逢うことが出来たのなら、すべて蘇るだろう。  夕凪……どこにいる?  生きているのなら、何故私を探してくれないのか。  何故一年も行方が掴めないのか、何の音沙汰も無いのか。答えのない迷宮を私は歩いている。たった一人で。  休みの度に、私は最後の目撃地である神奈川の大船周辺を彷徨い続けた。足が痛くなるまで行方を尋ね歩いたのに、未だに何の手がかりも掴めないでいた。 ****  仕事仲間の下請けのような仕事を、ここ数日黙々とこなした。夕方納品できたので、明日からは数日まとまった休みが取れそうだ。  また行ってみるか。  また探しに行こうか。  最近……君と別れた季節が巡ってきたせいか、無性に君を近くに感じている。  ガタガタッ  ドンドンッ  その時、一人暮らしの小さな住まいの玄関が揺れ、激しく叩く音がした。 「おいっ信二郎いるか! 俺だっ海風だ! 」
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