白き花と夏の庭 9

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白き花と夏の庭 9

 声の主は海風だった。  列車に残された夕凪のトランクを拾い、駅舎に届けてくれた親切で実直な男。彼は夕凪の最後の目撃者でもあった。 「一体どうした? こんな時分に」 「はぁはぁ良かった家にいてくれて」 「おいっ水でも飲むか。そんなに息を切らして一体……」 「いいから、早くこれを」  汗だくになっている様子が気の毒で、流しに水を汲みに行こうとすると呼び止められた。差し出された手元を見ると、何やら白い布切れを持っている。 「なんだ? これは」 「明るい場所で、よく見てくれよ」  玄関口は薄暗いので海風を居間にあげて、ランプの近くで布を広げた。 「ここだ! ここを見てくれて」  指さす部分に描かれていたものは、小さな白き花。藍色の輪郭で楚々と描き上げられていたのは、まさしく正統派の京友禅の絵付けの手法だ。 「こっこれは! 」  この絵柄……この花は鷺草か。この図柄には見覚えがある。なんてことだ。これはあの幻の作家、夕顔の系統を踏む薫の作風とそっくりだ。  この技法を描けるのは、薫自身かその弟子しかいない。いや……薫には弟子がいないはずだ。 「海風……これを何処で手に入れた? 」 「俺、会ったんだ。鎌倉の寺であんたが探している夕凪さんにそっくりの人に。これはその人の持ち物なんだ」 「なんだって!  確かに夕凪なのか」 「他人の空似とは思えない。ただちょっと様子が違っていて……その」 「なんだ? 早く教えてくれ」 「あぁ……その彼はとても幸せそうで、二人の過保護な兄がいると話していた」 「二人の兄? 」  夕凪は一人息子だ。兄弟はいないはずだ。義理の兄はいるが律矢は京都に戻り、大鷹屋を継いだと聞いているから違うはずだ。  事情が分からないが、夕凪にそっくりな人物と薫の手法の絵付けが施されたハンカチ。薫といえば……女装させられた夕凪と私が再会したあの部屋の展示の主だ。  絶対に関係ある。  そう確信した。  そして海風が鎌倉の寺で出会った青年は。きっと夕凪だ。  そう予感した。 「どこだ、どの寺だ? 教えてくれ! 頼むっ」 ****  翌朝、始発の列車に飛び乗った。  手に握りしめたのは海風に書いてもらった寺の名前と住所、地図。大学の講義が外せない海風は同行できなかったが、一向に構わない。  ここから先は私の問題だ。  きっと夕凪だ。  そうに決まっている。  夕凪……その名を呼べる時が近づいている。  まず逢えたら、何を話そうか。  離れていた月日を埋めるように、私たちは抱擁しあうだろう。
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