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道 1
先ほどからずっと指先が、じんじんと痛んでいる。あまりにも強い痛みに、俺は涙が出そうな程、悶え苦しんでいた。その時、苦痛に顔を歪める俺の頬に、しっとりとした温かい雨が降って来た。
雨を温かいと感じるなんて……これはこの身が火照るように熱いせいなのか。
「律矢さんっ……律矢さんっ」
遠くから声がする。この声は……間違えるはずはない。俺が愛おしんだ夕凪の声。
行ってしまったのではないのか。
まだそこにいてくれるのか。
俺の傍にいてくれるのか。
「律矢さ…ん…りつ…や…」
ところが、段々と声は小さくなっていく。
「待て! 行くな! 」
焦ってハッと目をこじ開けると、ぱっと光がさすように、夕凪の美しい顔が目の前に飛び込んで来た。少しぼやけていて焦点が合うまでに時間がかかった。
「あっ……」
「夕凪か」
今にも泣きそうな顔をしている。いやもう泣いていたのか。目を真っ赤に腫らし、構うことのない涙を流していた。
「律矢さん、良かった……気が付いたんだね」
「……ここはどこだ?」
ズキズキと痛む指先を見ると、白い包帯がしっかりと巻かれきちんと処置されていた。首を動かして辺りを見回すと、どこかの和室で清潔な布団の上だった。
「律矢さん……ひどい出血だったから、本当に心配しました」
夕凪は涙を拭こうともせず、私の胸元に縋りつくように顔を伏せた。突然のその仕草に何故か戸惑ってしまう。
「おっおい」
夕凪は耳をあて、俺の心臓の音を確かめているようだった。
「あぁ良かった。無事でよかった。本当にちゃんと生きている」
「ふっ…大袈裟だな」
「さっきまでお医者様がいらして、これ以上出血してら危なかったと言われ、恐ろしかったです。俺のせいで何かがあったらと……」
「大丈夫だよ。まだクラクラするが、指先の怪我だけだ」
そう言いながらも、実は相当やばい状態だったのではと、自分でも冷や汗が出た。それにさっきから、指先から変なしびれが腕を辿ってきている。
夕凪を助けたところまでは良かったが、一人で岸に上がるときに、うっかり尖った岩場に手をついてしまったのか、突き刺すような痛みを感じた。
そして、ザックリ切れた指先から血がドバっと出たのに気が付き焦って、なんとか岸まで上がろうとした所までは覚えているが……俺としたことが、その後の意識が朦朧としている。
「夕凪が俺を助けてくれたのか」
「いや……律矢さんを助けたのは、信二郎と流水さんだ。俺は医者を呼びに行っただけだ。それにしても俺のせいで律矢さんがこんな目に……本当に本当にすまなかった」
あぁそうだ。信二郎のことは、俺も見た。
あの時夕凪は信二郎の手を取ろうとしていた。信二郎と確実に行こうとしていた。なのに突然岩場が崩れ落ちて、夕凪は滝つぼに落下していった。
俺が行くなと願ってしまったせいなのか。
自分の汚い心を後悔し、俺の命と引き換えにしてもいい。夕凪だけは、助けてくれ!もう何も望まない。そうだ……俺は夕凪が助かるためなら、なんでもすると滝つぼのなかで願ったことを思い出していた。
「ところで、その流水という人は誰だ? 夕凪は今までどこにいた? ずっと……この一年もの間探していた」
「流水さんは、この寺の住職の弟さんです。俺はここにいたよ……あれからずっとこの寺に…」
「やはり夕凪はこの寺に最初からここにいたのか」
「でも律矢さんはどうしてこの場所を?」
「それは、月影寺の住所が記された紙切れを夕凪が着ていたジャケットから見つけ、それを頼りにここまでやってきたのだ」
「え……ジャケットって……あの日の俺が着ていた上着……」
俺は夕凪を見つけたのに、すぐに話しかけられなかった。でもこうやって面と向かって話せる状態になったのなら、もう我慢出来ない。
お願いだ。その理由を教えてくれ!
「なぁ……どうして夕凪は俺の元から去ったのか。どうして一年もの間、連絡を寄こさなかったのか」
問い詰めるように尋ねると、夕凪は酷く狼狽していた。
蒼白な顔、悲し気な顔。
「律矢さんは、あの上着をどこで……」
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