京へ続く道 4

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京へ続く道 4

「夕凪、大丈夫か」 「すみません。少し酔ったみたいで」  この一年もの間、北鎌倉の月影寺の敷地から外に出ることはなかった。翠さんにそうするように言われたのを律儀に守ったのは俺だ。そう言われなくても、外の世界に出るのが怖かった。だから列車に乗るのは、あの日以来だ。  もう俺は大丈夫。二人の人にこうやって守られているのだし何も起こらない。そう思っているのに、何故こんなにも怖いのか。  込み上げてくる吐き気に目をギュッと瞑ると、生理的な涙が目の端に浮かんだ。見かねた律矢さんが、外の空気が吸える連結部へ連れ出してくれた。だが連結部は揺れが酷く、そこでまた吐き気に襲われ蹲ってしまった。  本当に情けない。幸せになるために選んだ道なのに、もうこんな所で躓くなんて。 「夕凪しっかりしろ」 「んっあの……水を持って来てもらえませんか」 「あぁいいよ。一人で大丈夫かい? 」 「ええ……」 「じゃあここで待っていろよ。すぐに戻るから」  混みあった車内に律矢さんの背中が吸い込まれていく。と同時に、俺の前に大きな影が出来た。  何だ?   嫌な予感。不吉な予感。  恐る恐る顔をあげると、相手は遥かに背が高いようで、茶褐絨の軍衣に袖の肩章が目に飛び込んで来た。途端に背筋が凍るような、ぞわりとした気持ちになった。 「へぇ~こりゃ驚いたな。あんたに、また会えるなんて奇遇だな、その別嬪な顔忘れたわけじゃないぜ。もう一度抱きたくて探していたのに、どこに雲隠れしていたんだかなぁ~」  ゴツイ指が伸びてきて顎を持ちあげられ、顔を覗き込まれた時には心臓が止まった。その後悲鳴が上がりそうになったが、あまりの恐怖に喉が締め付けられて無理だった。 「ひっ……」  それでも必死に声を絞り出す。  間違いがあってはならない。  今度こそ俺の力で抵抗したい。 「てっ……手を離せっ」 「へぇ生意気な口だな~あの時はあんなにアンアン啼いていたくせに。よく締まっていい尻だったぜぇ。今度は一度に二輪挿しにしてやるから。うんと可愛がってやるぜ、さぁ来いよ」  卑猥な言葉。どこまでも下種な相手。  あの時俺の躰を引裂いたうちの一人に間違いなかった。  なんでこんな所で、こんな場所で再び巡り逢ってしまうのか。  俺は、運命に呪われているのか。 「夕凪、水持って来たぞ」  その時律矢さんの声が響いた。  同時に俺の顎を掴んでいた将校が手をびくっと放した。 「お前誰だ? ん……お前は確か、田中屋の三男坊じゃないか」 「あっう……おっ大鷹屋の……律矢さん……」 「お前っ!今この人に何かしてなかったか」 「うっ……うわぁ」  将校は慌てて逃げるように去って行った。 「俺の顔見た途端に何だ? 夕凪、今あいつと話していただろう? 」 「……律矢さんの……知りあいですか」 「あぁ、俺ん家の店子の三男坊だ。友達じゃないぜ。あいつは嫌な奴さ。いつの間に軍人になったんだか」 「……あの人……俺を襲った……人だった」  ブルブルと恐怖が蘇り震える躰を抱きしめながら、思わず漏らしてしまった言葉に、律矢さんは怒りに躰を震わせた。 「なんだって? まさかっあいつなのか! くそっ許せねぇ!」 ****  列車で起きた騒動は忘れられない。  律矢さんと信二郎が二人がかりで、あの将校を殴り飛ばして、途中の駅で降ろしてしまうなんて……何か咎があったらどうしよう。そう思うと怖くなってくる。  せっかく懐かしい京都の駅に降り立ったというのに、追手がこないか心配で何度も何度も振り返ってしまった。 「ふっ夕凪そんなに振り返らなくても大丈夫。あいつは追って来ないよ。あいつの家は俺ん家に恩義があるから、二度と顔を出せないようにしてやった。本当は上に突き出してやりたかったが」 「本当に?」 「心配するな。もう忘れろ。ほらっ」  小さな子供のように、口の中に飴玉を放り込まれた。  甘くて酸っぱいドロップス。  檸檬の味がほのかに広がった。  律矢さんと信二郎が大丈夫というのなら、大丈夫なんだ。  何故かそう心の底から思えた。  やがて甘い蜜の味により恐怖は消え、期待が蘇ってくる。  京都、ここは俺が生まれ育った街。  街並み。聴こえてくる言葉。独特の空気を思いっきり吸い込んだ。  あぁ、やはりこの街が好きだ。  まさか電車の中であんな騒動があると思わなかったが、かえって良かったのかもしれない。一生何処の誰かも分からない人に犯されたことを抱えて怯えて過ごすよりも、相手が分かり、しかも律矢さんと信二郎が滅茶苦茶に殴ってくれた。  俺の怒り……悲しみ……あらゆる気持ちを、ぶつけてくれたんだ。  された事実は消えないが、ずっと心の奥底でモヤモヤとしていた気持ちが少し晴れていくのを感じていた。 「さぁ、ここが夕凪の世界だ」  二人に背中を優しく押された。  あぁこんな風に背中を押してくれる友でもあり、愛する人が俺には二人もいる。  こんなにも心強いことはないだろう。  夕凪の時  茜色に染まる空。  あの日置いて来た情景の中に、やっと戻って来ることが出来た。  もう過去を振り返るのは、やめよう。  この世界に溶け込むように、生きて行こう。 『京へ続く道』了 あとがき(不要な方はスルーでご対応を) 『京へ続く道』を書き終えました。 地味な作品に関わらず、更新を追って読んでくださり スターを下さる読者さまに感謝の気持ちでいっぱいです。 次の章は鎌倉に残された「湖翠」と「流水」の話がメインになります。 今まで流れをまとめておきますね。 ※第1章※ 京都の町を舞台に、信二郎×夕凪甘く切ない官能的な世界を描いていておりますが、他の作品よりエロ度が高めですのでご注意ください。18歳未満の方の閲覧はお控えください。 ※第2章※ 28話以降~『捕らわれる』より、シリアス編に突入しました。新たな登場人物も加わり、次々と夕凪は貞操の危機に翻弄されていきます。無理矢理を含む、シリアスな展開になっていますので、苦手な方は御回避ください。 ※第3章※ 61話以降~徐々に『重なる月』とリンクしていきます。63話に無理矢理凌辱シーンがありますのでご注意ください。苦手な方は回避して下さい。ハラハラドキドキのドラマチックな展開を目指していきます。エロ多めの章です。 ※第4章※ 127話以降~残された兄弟。湖翠と流水の話が中心になります。 切なさが募るセレナーデのような流れ。
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