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残された日々 6
「どうした? 流水、黙っているなんてお前らしくないね」
夕陽を浴びた横顔。
茜色に染まる空を背景に、兄の美しい顔は瑞々しく艶めいて見えた。
何度見惚れたことか。
何度その滑らかな頬に触れてみたいと思ったことか。
だが俺は兄と血を分けた兄弟であって、決して一線を超えてはならない躰しかもっていなかった。
男と男以前の問題だった。
「湖翠兄さん……俺は三日後この寺を出ます」
深呼吸の後、一気に切り出した。
「え……」
にわかには信じられないのだろう。この俺がこんなことを告げるなんて……
ヒュッっと兄が息を呑む音がした。
「今……なんと……?」
ポカンとした表情の頼りなさ。
さっきまで夕陽を浴びて血色がよかったはずの顔色が、一気に気の毒なほど青くなっていた。今にも倒れてしまいそうな程、ガクガクと細い躰が震えている。
「兄さんは、じいさんの言う通り、見合いをして結婚してください」
「なっ……」
「いいですか。もう決めたことですから覆すことはできないのです」
「何故! 突然どうした? 何故……どうして……お前がそんなことを言う? 一緒に反対してくれると思っていたのに。それにどこへ行くつもりだ! 僕を置いて、どこへ!」
悲痛な兄の叫びが、胸に突き刺さる。
どんなに非情と思われても、ここで突き放さないといけないのだ。
「兄さん……俺はもう決めたのです。ここを出る準備に取り掛かります」
これ以上居たら、迂闊にも泣いてしまいそうだ。すでに兄の目からは大粒の涙が溢れ、ぽたぽたと縁側の古い木造の床に滴を落としていた。
そんな顔、させたくなかった。
俺がいつまでも……あなたを守り続けたかった。
この身体が持つのなら、いつまでも傍にいたかった。
この俺が衰弱していく姿なんて見せたくない。
兄を捨てどこかで元気にやっていると思ってくれた方がましだ。
たとえ恨まれても……そうして欲しいから、行くよ。
「待って!流水っ」
縋るような兄の声が背に突き刺さる。
今生の別れは近い。
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