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残された日々 8
「流水……やっと来てくれたのか」
ところが、ようやく会えた弟の表情は固く、無言でお抹茶を差し出してきた。
これはいつもお前が僕のために点ててくれたもの。
一口含むと……いつもは苦い中に甘さを感じるのに、今日はどこまでも苦かった。
苦しい味だ。
淡い期待は消え去った。
いよいよ別れの時なのか。
「……いつなのだ……いつ旅立つ? どこへ? 何故?」
一度口を開けば、問い詰める言葉がはらはらと零れ落ちてしまう。
「どうしてなのだ。僕がいけなかったのだな。お前のことを……追い詰めてしまった」
この先……この先の言葉。ずっと心の中で想っていた言葉だ。
永遠に葬ろうと思っていたのに何故だかもう会えなくなってしまう気がして、躊躇いながらも、とうとう告げてしまった。
「僕はお前のことが好きだ。弟じゃない。愛している……」
言い放った後、躰がわなわなと震えた。
あぁとうとう告げてしまった。
これが始まりになるのか、終わりになるのか。
「……」
弟はまるでその言葉を予期していたかのように。動じなかった。
駄目だ。
この言葉では流水を引き留めることが出来ないのか。
お願いだ。何か言ってくれ。
「湖翠……すまない」
初めて呼んでくれた僕の名前。
だが……その後に続く言葉は期待したものではなかった。
僕が、実の弟にこんな想いを抱いてしまったから、お前は行ってしまうのか。
僕のせいなのか。僕のせいだ。
「流水、すまなかった。こんな想いを兄が抱いてしまって、もう永遠に胸の奥に閉じ込めるから、だからっ、だから……どうか行かないでくれ!僕を置いて……」
兄としてのプライドなんて投げ捨てた。
お前を引き留められるのならば!
「明日……明日の朝には、ここを出ます」
「どこへ? 一体どこへ行くつもりだ?」
「遠くですよ。寺の次男坊でも日の目を見られる場所へ」
「そんな……お前がそんなこと言うなんて信じられない」
「探さないで下さい。俺はもう俺の人生を歩むことにしました」
信じられない。
流水はそこまでして僕を突き放そうとしている。
目からまた枯れたと思った涙が流れ落ちていく。
「さよなら……」
嫌だ! 別れの言葉なんて聴きたくない。
眼の前が涙で霞んでいく。
何も考えられないよ……流水。
なんで僕たちこうなってしまった?
ただ傍にいられれば良かったのに……
****
残酷なことをした自覚はある。
兄さんからの決死の告白を無下にしたのは俺だ。
その愛に応えたかった。
健康であれば、兄と弟の柵なんて軽々と乗り越えた。
そう……健康であればな。
幸いなことに、兄はまだ俺の病に気が付いていない。
俺はおそらくもう間もなく、心臓の病でこの世を去ることになるだろう。
眼の前で兄にあの世へと見送られるなんてことはあってはならない。
兄が弟の葬儀を執り行うなんてことなんて無理だ。
こんなにも俺を愛してくれた兄が壊れてしまう。
ならば、俺を憎むことで生きて欲しい。
願わくば、むごいことだが、兄の血を後世に伝えて欲しい。
いつか……いつか俺は生まれ変わって兄のもとへ戻れるように切に願う!
****
夜が更ける。
生まれ育ったこの月影寺で過ごす最後の一夜がやってきた。
一旦部屋に戻った俺は覚悟を決めた。
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