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心根 こころね 4
あのまま潮風と共に果てたと思った命だった。
なのに違った。
目覚めると黄泉の国ではなく、どこかの寺のようだった。
「おや、気が付いたかな」
「ここは……何処です?」
「ここは愛知の一色寺だよ。君は海の近くの松林の中で倒れていたんだ。覚えているかね」
剃髪し黒い袈裟姿の年老いた僧侶が、静かに枕元で話しかけてきた。
くそっ死に損なったのか。
この役立たずな心臓は、いつまで俺をじわじわと苦しめる。
いっそあのまま逝きたかった。
あの海風に攫われたかったのに……
あの海だったら、俺の魂を湖翠のもとへ届けてくれそうだったのに。
「死に急いでいるのかね。確かに……君は病気で……寿命が近いようだが」
「……何故」
「医師に診てもらったよ。お前さんの心臓の状態……そう長くはもたないそうだ。それを知ってあそこに?」
「もうやることはやったから……あそこで死にたかった」
素直に認めた。
もう本当に何もやることがないと思ったから。
零れ落ちる本音。
何故俺はこんな見ず知らずの人にこんなに素直な気持ちになれるのか。
この老人が僧侶だからなのか。
こんなにも弱音を吐いてしまうのは。
「君はひとりで逝くつもりだったのか、君のことを愛している人がいるのでは……君が愛する人の元に何故いない? 別れが近いというのに」
「……いてはいけないから。俺はあの人の傍にいてはいけない人間だから……」
魂の叫び!
そう湖翠を抱いてそのまま残して旅立つのは、もう瀬戸際の決断だった。
「ふむ……」
俺の話を真摯に受け止めた僧侶は御仏の導きのように俺を諭した。
「確かに今生で、生きているとそういう別れもあるだろう。でもひとりで逝ってはいけない。あんな松林で寂しく朽ちてはいけない。去ってはならぬ。君がその歳を迎えるまで生きた軌跡を後世に残すべきだ」
「そんなこと……出来ない。迷惑になるだけだ。あの人を悲しませるだけ」
「事情があるようだね。深く悲しい……ならば……一番愛した人のもとから旅立てないのなら、せめてその次に大事な人のところから旅立ちなさい」
「次に大事な……?」
「いるだろう。君には」
まるで知っているかの如く、その先の言葉を導かれる。
「……あっ」
そこまで深く探られて、俺の心はひとりの青年を求めていた。
目蓋の奥にはあの可愛い美しい青年の姿を……
「そうだ……夕凪、せめて夕凪に会ってから……幸せそうな顔を見てから……逝きたい」
そう告白していた。
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