心根 こころね  6

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心根 こころね  6

 成り行きで駅で倒れた彼を、今病室で看病している。  今……私の心臓は張り裂けそう、躰も小さく震えている。  何故なら、彼の行きたかった場所を探すために、彼の鞄を確認させてもらって出てきたのは、海のような蒼色に染められた風呂敷の中に、大事そうに包まれていた住所が書かれた荷札だった。 「これは……宇治の住所だわ。間違いない。そしてなんてこと!」  差出人の名前を見て驚いた。荷札には宇治の住所と『夕顔』とだけ書かれていた。  まるで何かの暗号みたい。  だけど私には分かったの。  「夕」の文字によく見覚えがあったの。  この筆跡は夕凪さんの書いた文字とそっくりだった。  いつも彼が帳簿に記入している間、彼の筆の動きを飽くことなく眺めていた女学生の自分を懐かしく思い出した。彼の細く長い指を見るのが好きだった。少し癖があるが達筆だった夕凪さんの文字よ。これは……絶対に。間違えるはずがない。  一体どういうことなの?   貴方は今……宇治にいるの?  失踪したと処理された貴方はちゃんと生きているのね。  そこではっと思い出すのは、宇治で出逢った夕凪さんにそっくりな女性。  似すぎていた。夕凪さんは一人息子だったのに。まっまさか……まさかよね。 「すいません、この患者さんの身内の方ですか」 「いえ、私は違いますが……あの……彼はこの連絡先の方を訪ねて行く途中でした」 「おお! そうですか。ぜひ連絡してみましょう。残念ながらこの患者さんの寿命はもうそう長くないので、早めに身内の人にひきとってもらった方がいいかと」  やはり……先ほどから私を襲う嫌な予感。どうやらそれは的中してしまったようだわ。  私は眠っている彼の青ざめた横顔を見つめ、肩を落とした。  立派な体躯の美丈夫なのにお気の毒だわ。  まだお若いのに、なんて非情なことなのでしょう。 ****  宇治の山荘。  宇治川を見下ろす高台に建っているこの土地は、平安時代から観月の名所として数多くの歌に詠まれた場所。  今宵の月は赤く、不吉な色をしている。 「夕凪、どうした、そんなに空を見上げて」  部屋に入ってきた信二郎に、突然ガバッと腰を抱かれる。 「痛いよ。そんなにきつくされると」 「あぁすまん。今宵は月が赤くて不吉だな。まるで夕凪を吸い込んでしまいそうだったから」 「ふっそんなことあるはずなないのに……俺はもうどこにもいかない」 「分かっているが、この前随分怒っていたから、俺たちを捨てて何処かに行ってしまわないか不安だった」 「あぁ女装さえられたこと?もう二度と嫌だ。女装姿で知っている人と出会うことほど気まずいことはないからな」 「誰かに会ったのか。やっぱり……宇治で」  あの日桜香さんとすれ違ったことは、すぐには言えなかった。  動揺していたから。でももういいだろう。隠し事はしたくない。 「お前も知っている女性だよ。桜香さんとすれ違って」 「桜香さんって……あっ、夕凪の元婚約者のか」  どう返事していいのか分からなくて、無言で頷いた。 「恥ずかしかったよ。俺は失踪したことになっているのだろう。それがあんな女装姿で現れたら、向こうだって驚くだろう」 「だが気が付いていなかっただろう」 「まぁな」 「ならよかった。夕凪の女装は下手な女よりずっと美しい。誰も中身が男だなんて思わないさ」  そう言いながら信二郎の手が浴衣の裾から入り込んで、太腿を撫で上げて来る。内股の柔らかい皮膚や尻を揉まれてしまうと、嫌でも感じ出してしまうのが、今の俺の躰。 「あっ……駄目だ。律矢さんがいないから、今宵は」 「だからいいじゃないか。たまには私だけの夕凪に戻ってくれても」  首筋を甘噛みされて、動きを封じられていく。ずるずると窓枠から畳に床に移動させられ、押し倒される。 「んっ……」  喋ることが出来ないように、執拗に口づけをされながら、俺の下半身の膨らみを確かめにくる、その手が憎らしい。 「駄目だよ……一人でやるな」  俺は決めていた。律矢さんと信二郎の二人を選んだ時に。  決してどちらか一人とは寝ないと。この躰は二人のものだと。 「夕凪……じれったいな。抱きたい時に抱けないなんて」 「許せよ。これが俺の選んだ道なんだ……このまま突き進みたい」 「くそっ」  信二郎も、分かってはいるのだ。それ以上の無体なことはしない。  忌々しい表情で俺の上から体重を外した。 「律矢はいつ来る? 律矢が来るまで抱けないなんて拷問だ! 」 「明日には大鷹屋の展示会も終わるから、顔を出せるようだよ。早く俺の友禅も出品できるように腕を磨きたい」 「ふっ愛弟子だよ。夕凪の腕はすごい。才能があるよ……お前は」  今度は優しい口づけを降らしてくる。 「もう……」 「口づけ位はいいだろう」 「んっ……」  そんな甘く……際どい夜を過ごしていると、珍しく居間の電話がけたたましく鳴った。
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