しばしの別れ 1

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しばしの別れ 1

 朝……流水のいない朝が、また明けていく。  あれから何日の月日が経ったのか。お前がいない世界は暗黒のままだ。  僕は明け方から縁側にぽつんと座り、次第に色づく東の空を眺めていた。月影寺の竹林の先に広がる大空が、希望の色へと染め上げられていく様子を、ただ見つめていた。  予感──  その日はいつもと違う気配を感じていた。今日という日の夜明けは決して逃してはいけないと感じていた。  暁から東雲(しののめ)……そしてやがて曙。次々と美しく色づいていく世界を夢見て、光に向かって、必死に手を伸ばした。 「流水!」  お前との未来を掴みたかったのに、何故こんなことになってしまったのか。  気が付くと双眸から涙が溢れていた。    お前を抱きしめることは、もう叶わない。永遠に失った。  そのことが……今日ほどはっきり伝わったことはなかった。  まさか──    不吉なことを断ち切ろうと、頭を振ると、涙が朝露のように庭に舞い落ちた。  胸が痛くて、会いたくて、この腕でお前のことを抱きしめたくて……なのに、どんなに願ってももう叶う日はこないのか。唇を噛みしめ、俯くていると、ふいにお前の声が天から降ってきた。 ──兄さん、泣くな。兄さんの血縁を繋いでくれ。俺たちがまた出会うために──  でも……お前がいないのに、どうやって? ──また逢えるから。一番近いところにいくから──  正気に戻った時は、僕は使用人に助けられ、布団に寝かされていた。    不吉な夢を見たと必死に自分を納得させた。あれは……まるで流水が身罷ったようではないか。そんなはずはない。お前はどこかで必ず生きている。僕を捨てて自由に生きると言ったじゃないか。お願いだ。もう僕の近くにいなくてもいいから、せめて僕と同じ世界で息をしていて欲しい。  どこかできっと見守ってくれている。  きっといつかまた逢える。  目が覚めても流水のいない世界。もういい加減になれないといけない。  それは分かっているのに、今朝の夢は残酷過ぎた。  手の甲で、光を遮り、涙を隠した。 ****  一年後。 「湖翠さん、おはようございます。そろそろ起きて下さらないと……」  可愛らしい声で肩を揺すられていた。だが、朝日が眩しくて顔を背けてしまう。 「……彩子さん」 「まぁ……また悲しい夢でも?」  ほっそりとした女性らしい指で目元を拭われる。そうだ……僕は流水が去ってから半年後にこの女性と結婚したのだ。祖父の勧めの鎌倉の建海寺のお嬢さんとの結婚はどうしてもしたくなくて破談にした。その代わりに都内の由緒正しき寺から彩子さんをもらった。  だが……こんな風にあの不吉な日を夢見て起きた日には、その実感が湧かない。 「ほら起きて下さい、ね、ここ触って下さらない」 「ん……」 「お腹の丸み、目立ってきたでしょう」 「……あぁそうだね」  結婚初夜、僕は葛藤の上……彼女を抱いた。  その時に授かった赤子だ。    流水に抱いてもらった躰が消えていくような気もしたが、もっと深い部分にお前がいてくれるような気がしたので、割り切った。  「でもつまらないわ。結婚してすぐに妊娠してしまうなんて。もっとあなたと熱い夜を過ごしたかったのに。お医者様に出産するまで厳禁と言われるなんて」  彼女の妊娠は不安定で、夫婦の営みで無理はするなと医者に言われた。その時心の奥底で安堵している自分に気がついて、申し訳ない気持ちになった。 「無理はさせられないからしょうがないよ。赤子を大事にして欲しい」  
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