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羽織る 6
「そ、そんな所に触れるな!」
しゃがみ込んだ信二郎に足首をぐっと掴まれ……草履を脱がされ足袋をめくられ、あっという間に生足にさせられてしまった。信二郎の指の温かさが直に触れると、なんとも言えないゾクッとした感覚が躰の奥底から疼きだす。
「ここか、血が出てるな」
信二郎はさっと取り出した白いハンカチで血を拭ってくれ、傷が鼻緒にあたらないよう包帯のように巻いてくれた。
「どうだ? 」
「あっ……うん楽になった」
「そうか、それなら少し歩けるか」
信二郎が手を差し出してくれたので、少し躊躇したがその手を取り腰をあげた。ここは路地だし暗闇だからいいか……そっと着物の袖と袖が触れ合うと、信二郎が俺の手をぎゅっと握りしめた。途端に女が男にトキメクかのように、俺の心臓もドキンと音を立てる。
「し……信二郎」
「なんだ? 」
「……手……恥ずかしい」
「もう暗いし、この辺りは酔っ払いばかりだからそんなこと気にするな。さぁ行くぞ。桜が綺麗に見える場所があるから夕凪に見せたいのだ」
「なんで信二郎は俺のことを……」
「ん? 」
「あ……だからなんで、この前」
「あぁこの前抱いたことか」
ストレートに言われると、あの日のことがまた頭に蘇り、暗闇でも分かるほど顔が真っ赤になってしまう。そんな様子を信二郎はいたずらそうな笑みを浮かべじっと見ている。だが少しだけ表情が固いのは気のせいだろうか。
「夕凪……あのさ、昼間のことだが」
「えっ! なっ何? 」
「あの女性……」
来た! 一番聞かれたくないことだ。
「うっうん……何? 」
「本当に許婚なのか」
「……あ…その…彼女とは親同士が決めたことで、俺に権限はなくて」
「ふーん……そうなのか」
少しだけ信二郎の表情が曇ったのが分かった。
「そうだよ」
「お前、あの女性ともうすぐ結納をするのか」
「俺は……」
「それでいいのか。本当に」
「なんで」
「いやなんでもない、まぁいい。今宵は桜が綺麗だから嫌なことは忘れて酔いしれたい。なぁ夕凪はあの女性をもう抱いたのか」
「なっなんてことを突然聞くんだよ!」
俺はそんなに手が早くないぞ。と言い張りたい所だ。
「ふっその反応はまだか。なぁ夕凪はちゃんと女性を抱いたことあるのか。まさか童貞じゃないよな? この前、相当初心だったぞ。この前俺に抱かれてどうだった? 」
「そっそんなこと、こんな所で聞くな! 」
恥ずかしくなって手を振りほどいて逃げるように先を歩くと、今度は肩を組んでくる。
「そっちじゃない。こっちだ」
肩を押されるように誘導されて小さな路地をいくつか抜け辿り着くと、そこは町家が連なり白川が流れる横に石畳の道が続く、祇園白川の外れだった。
料亭などが建ち並ぶ白川の流れに沿ってソメイヨシノの桜並木が続いていて、その桜が今を盛りかと咲き誇っている。薄く桃色がかった白き花が月明かりにふわりと浮き出て、なんともいえない艶な風情を醸し出している。
満開の桜が流れる水面にも映り込む桃源郷のような世界で、風がたなびくたびにちらちらと桜吹雪があちこちで巻き起こっていた。
「凄い……綺麗だ」
俺は見惚れてしまった。月明かりに照らされた満開の桜に。
「なんと美しい世界なんだ」
うっとりとした溜息が自然に出てしまう。その時一陣の風が吹き抜け、桜の花びらがそよそよと舞い出した。橋のたもとで桜を観ていた俺達の周りも、二人に纏うように舞うように……花びらは吹き抜けていく。
「あぁ凄い」
品行方正というわけでもないのだが、家業を継いでからは必要以上に出かけることがなくなっていた俺はこんな風に月明かりのもと桜を愛でるのは久しぶりで、気分が高揚してくる。
満開の桜の木から俺に降り注ぐ花びらの行方を追っていると、信二郎がいつになく優しい眼差しで俺のことを見ていることに気が付いた。その目線を辿ると口元をさしていた。
「信二郎、どうした? 」
「夕凪、ここについてる」
そう言って俺の唇の端についていた花びらを、そっと摘んでくれた。花びらは信二郎の指を離れ川面に儚く舞い降りて行く。その花びらのふわふわと舞い落ちて行く様子が、まるで女人が男性の胸にふんわりと抱かれているような光景を思い出させ、俺は息を呑んだ。
途端に信二郎の指が触れた箇所が火が付いたように熱くなる。
意識しているのか……俺は。信二郎の一挙一動をこんなにも。
「ところで、その手に持っている物はなんだ? 」
「あっこれ? 着物だ。信二郎の作ってくれた」
「なんで持ってきた? 」
「いや……その」
まさかこの雰囲気で桜香さんに頼まれたことを言い出すのも無粋だと思い、とっさに頬を赤らめてきゅっと唇を結んだ。
「ふっまぁいい。それ、ちょっと貸せ」
信二郎は俺の手から風呂敷を奪い取り手際よく中身を取り出したかと思うと、俺の頭からふんわりと着物を羽織らせた。
「なっ何するんだ? 」
「こうやって被っていればいいよ」
「なんで? 」
「夜桜の元で佇む夕凪は……なんだか妖艶すぎて、他の奴に盗られないか心配だから顔を隠せ」
「馬鹿!」
それっ男に向かって言う事じゃないだろ?
信二郎は一体俺のことをどうしたいんだよ。
「夕凪、こっちを向けよ」
着物で顔を深く隠したと思ったら、信二郎の唇でいきなり塞がれた。
「こっここ、人いる! 」
俺たちのすぐ後ろを人が通り過ぎていく気配がして、俺は冷汗が出て慌てて丈の胸を両手で押し返して口づけをやめさせた。
「こっこんな風に外で男と抱き合っている姿を見られたらどうするんだよ! まして口づけなんて」
「ふっそんなに焦るなよ、夕凪。みんな桜を観ているから私達のことなんて見てないよ」
「そっそんな……はずは」
反抗する口をもう一度ふさがれ、口づけがどんどん深まってくる。抵抗する両手首は信二郎に絡めとられ一歩も逃れられない。
「はっ……んっ…駄目だ」
抵抗しようと思ったが騒げば人目につくし、結局は抗いながらも大人しく信二郎の熱い口づけを一身に受け止める羽目になる。
「うっ……あっ……んっ、んっ」
まずいな。信二郎の口づけは気持ち良い。
深まる口づけに息があがり、変な声が出てしまうのを必死に呑み込む。
このままじゃ駄目だ!
そう思うのにどんどん身体から力が抜けてしまう。
抜けそうな腰を信二郎がぐっと力を込めて抱き寄せてくれると、信二郎の硬くなったものが、俺の腹にあたるので赤面してしまった。同時に俺のものも反応し出してしまう。
あぁそうか、信二郎は俺に欲情しているのか。
そして俺も信二郎を欲している。この気持ちはやはり……
先日のあの信二郎との妖艶な時間は、 一時の感情に流れに任されたものではなかったのだと確信してしまった。
祇園白川の宵桜のもと、そんなことを考えながら腰を抱かれ、ゆらゆらと揺れながら信二郎の熱い口づけに酔いしれていった。
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