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屏風の向こうに 4
「なんで俺の名前を? 」
「何言って? 君は夕凪だろ……その姿、私も女装させたことがあるからすぐに分かった」
「えっあなたが? 」
なんのことを言われているのか、分からない。
俺の両肩を掴み必死な形相で見つめているこの男は、一体誰だ。
何で俺の名を知っている?
それに俺は前にもこんな格好を人に晒したのかと思うとぞっとする。
記憶がない。
何も思い出せない。
「おい? 聞いているのか夕凪」
顔を両手で挟まれ持ち上げられ、ゆっくりと真剣な男の顔が近づいてくる。
この人は何故か懐かしい。
この気持ちは一体何だ。
もどかしい。
もどかしくて堪らない。
分からないことだらけで混乱してしまう。
何か声を出そうにも喉になにか詰まったように、ひゅっと息を呑むことしか出来なかった。
「おい夕凪? まっまさか私のことが分からないのか」
恐る恐るコクリと頷くと、みるみる俺を見つめる男の顔が青ざめていく。
「そんな何故……私は、坂田信二郎だ。京友禅の絵師でお前の店に出入りしていただろう?」
「絵師? 店……店って、もしかして一宮屋のことか」
「あぁ良かった。それは覚えているんだな。では一体なぜ私のことは忘れてしまった? 私はずっとお前を探していたのに。とにかくお前が無事でよかった」
そう言いながら俺の腰に手を回し、下半身を押し付けるようにぎゅっと抱きしめてくる。
「はっ離せっ」
「私の名前を言ってみろよ」
「……お前は坂田……信二郎? 」
口に出すと確かに懐かしい気持ちが胸の奥に芽生えていく。一体どういうことなのだろうか、これは……俺はまさかとは思うが、律矢さん以外にも肌を許した男がいたのだろうか。この男にこんなに情熱的に抱きすくめられている状況からして、そう察せられる。
「あぁ信二郎だ。思い出せよ。あんなに私たちは想い合っていたじゃないか」
「想い合う? そんな……分からない。知らない……俺は何も覚えていない」
「くそっ! 一体なんでこんなことになったんだ。夕凪、お前今まで何処にいたんだ?今、誰と暮らしている?」
「そ……それは」
「まさかお前、本当に記憶喪失なのか。何か手がかりはないのか」
この男に何をどう答えたらいいのか分からなくて、しどろもどろになってしまった。すると信二郎という男は一旦躰を離して、まじまじと俺の全身を見つめてきた。
じっとりと絡められる視線が怖くて、躰が小刻みに震えて行くのを感じた。
「お前のこの着物、この柄は、まさか薫の作品か。お前は今、薫と一緒なのか」
「あっ違う! 俺は」
「夕凪っ」
ドンっと壁に手首を押し付けられる。
「痛っ」
男の熱い目線に嫉妬心が帯びたのを感じた。
どうしたらいい?
もう頭が破裂しそうだ。
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