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屏風の向こうに 5
「くっ苦しい……はっ離せっ」
信二郎という男によって、壁に押しやられ身動きが取れなくなってもがいていた。息が苦しく喉が詰まりそうで、苦しさから目に涙が滲み出てくるのが分かった。
男はいらついた表情を浮かべたままだ。
怖い……こんなに憎悪剥きだして睨まれるのは。
俺はこの人に一体何をしたのだろうか?
とんでもない裏切りをしたに違いない。だが俺は律矢さんに何度も何度も抱かれたことは覚えていても、この男と肌を合わせた記憶がない。
「脱げよっ」
「えっ」
低く唸るような声で、いきなり怒鳴られ躰が震える。
「な……何?」
「薫の作った着物なんて着るなよ。夕凪には私が作ってやったじゃないか」
そう言いながら律也さんによって着せられた訪問着の帯を一気に解かれる。
「離せっ! やめろ」
「こんな姿させられて……お前だって本当は嫌なんだろう」
「うっ……」
そうだ。俺だって男のくせに、こんな女装をさせられ、こんな場所に置いていかれて……本当は嫌で嫌でたまらなかった。自尊心がズタズタになっていた。
手際よくスルスルと帯が解かれていけば、もう抗えなかった。
信二郎の眼差しは怒りに狂っているようだが、その奥底にひたむきな情熱を感じた。一体俺は男のくせに、なんでこうも……
ストンと音を立てて、帯は畳に川のように広がって行った。
そして訪問着も強引に剥がされるように脱がされ、気が付いたときには白い長襦袢姿になっていた。鬘も外され化粧も手ぬぐいで強引に拭われて、男の姿に、本来の自分の姿に戻してもらっていった。
屏風の奥で、それは流れるような手さばきで行われた。
「ふぅ……やっといつもの夕凪に戻ったな」
信二郎の熱を含んだ熱い眼差し、ふっと笑う様な眼で見つめられて、素の自分を晒すようで極まりが悪い。
「行こう」
「えっどこへ?」
「ここには置いておけない、さぁこれを着ろ」
「だが、俺はお前のことを覚えていないんだっ」
「いいよ。覚えていなくても……一緒にいればきっと思い出せる! 」
「そんなわけには」
「いいから急げ」
信二郎がどこからか男物の着物を持ってきて、素早く着付けてくれた。久しぶりに男らしくきちんとした着物で身なりを整えることが出来て、ほっとすると同時に、忘れていた自分の中の本来の性が再び目覚めていくのを感じた。
女みたいにいつまでも男に抱かれ囚われているなんて……変だ。
律矢さんに麻薬を飲まされたように、俺は律矢さんとの生活に慣れ切って溺れていた。いつの間にか……もしかしたらこの信二郎という男にも抱かれていたのかもしれないが、それは今は考えるまい。
自分の意志で、この狂った世界から出ていきたい。
「来いよ」
「あぁ行こう」
足元を見ると、脱ぎ捨てた薫の着物や帯が川のように広がっていた。
まるで川を飛び越えるように、差し出された手を取り、信二郎と共に夕顔の間から飛び出していった。
『屏風の向こうに』了
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