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さざ波 1
「久しぶりだな、律矢」
「ええ……父さん」
展示会の最中に呼び出され、久ぶりに俺と父は面会していた。父の方はもったいぶった様子で俺に話しかけて来た。
「お前は、夕凪をあれから抱いたのか」
何を言い出すかと思ったら、やはりそのことを根に持っていたのか。
「まだ、お恨みですか。あなたのものを奪ったことを」
「はははっ、お前にはしてやられたが、だが返って良かったのかもしれないな」
「それはどういう意味です? 」
言っている意味が分からず問い直すと、父は急に真顔になった。
「つまりお前もとうとう地獄に落ちたってことだ。お前は私のことを博打好きの節操のない好色だと散々馬鹿にして蔑んでいたが、結局はお前も同じ道に入ったってことだ」
「はっ? 確かに俺に男色の気があるのは、あなた譲りですが、そこまで性癖のことでとやかく言われる筋合いはないと思うのですが」
一体何を言いたいのか。父も男女を問わず抱ける性癖で、夕凪も借金の形にこの大鷹屋に買われ父の慰みものになるところを、救ってやっただけではないのか。
「ではやはり抱いたのだな」
「ええ、抱きましたよ。あなたのものになるはずだった夕凪を……何度も何度も抱き潰す程抱きましたよ。それが何か」
父の気持ちを汲めず、動揺を隠すように強がって答えた。
「はははっ抱いたか。そうかそうか」
そう答えた途端に、父は勝ち誇ったように高笑いした。そして俺のことを蔑む様に見据え、言い放った。信じられない言葉を……
「夕凪は私の実の息子だ。お前とは母親違いの兄弟になるんだぞ」
「えっ……夕凪が俺の弟……半分血が繋がっている? まさか……そんな」
躰が震えていくのを父に見られたくない。そう思うのに驚きのあまりカタカタと震えてしまう。
「夕凪の母親は、大鷹屋の出入りの女流絵師だった」
「なんだって?」
それはまさか……幼い頃父の所に出入りしていたあの聡明な美しい女性では……そんな予感がした。
「お前も何度か彼女に会ったことがあるだろう? 聡明で美しい女だった」
「まさか……そんな」
俺は、だから夕凪の顔に一目ぼれしたのか。彼女は俺の初恋の女性だ。その彼女がまさか父と関係を持っていたなんて信じられない。いや……大方、無理矢理犯して自分のものにしたのだろう。父のことだから。
「彼女は息子を産んですぐに、運悪く産後の肥立ちが悪く亡くなったよ。私もこれからという時に失ってひどく悲しかったものだ。忘れ形見の息子は一宮屋に養子に出したんだよ。それが夕凪だ」
「え……」
「律矢……お前の母がわしの浮気を知って、気が狂わんばかりに怒ったもんだから、心労が祟ったのだろう。でも何かの縁なのか、先日美しく母親そっくりの顔に成長した夕凪を間近で見る機会があってな、どうしても我が物にしたくなって、ここに連れて来たのだ」
「信じられないことを……では……あなたは実の息子を抱こうとしたのですか」
「はははっ、まぁそれが、まさかお前に寝取られるとは思って居なかったがな。私は危うく近親相姦してしまうところだったぞ。さぁ律矢。お前はどうだ? 血のつながった弟を抱いた気分は」
「やめてくださいっ、そんな風に言うのは」
夕凪が弟だと? この父の実の子だって?
そんなのは信じられない。
あんなにも可憐で楚々とした夕凪が……だって、この憎き父には欠片も似てないじゃないか。確かに初恋の人に似た顔だったから最初は興味本位でもあったんだ。でも夕凪を抱けば抱くほど、その儚い中に凛とした姿勢に見惚れ、俺が抱けば抱くほどしどけなく艶めいていくその躰にも声にもすっかり溺れてしまった。
俺はもう夕凪を手放せない。
何かの間違いであってくれ。
もうそれ以上のことは聞いていられず、俺は慌てて女装させた夕凪を待たせている『夕顔の間』へと走った。
「夕凪っ!夕凪いるか」
お前は父の子ではない。
俺の弟なんかじゃない。
俺の対の相手だ。
何も聞かなかったことにしよう。
そう自分を納得させようと必死だった。
だが父の高笑いが耳に鳴り響いたままだった。
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