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月影寺にて 8
「夕凪、どうした? 大丈夫か」
月を見上げていた夕凪が、墓の前で突然意識を失ってばたりと倒れてしまった。慌てて流水が抱き留め夕凪を抱きかかえ、部屋に連れ戻した。
やはりまだ外に出るのは、無理だったのだ。
昨夜……薄汚い小屋で傷つけられ辱しめられ、裸のまま放置されていた夕凪の憐れな姿を思い返して胸が潰れる思いだ。
私達がずっと傍にいてやれば、昨日のような惨事にならなかったのに。自分をどうしたって責めてしまう。あの頃無力だった自分のことが悔しくて恥ずかしくてしょうがない。
夕凪すまない。あんな目に遭わせて……本当にすまなかった。
当時、夕顔さんの禍々しいほどの美しさは何かしら災いを招きそうで、幼心に不安を感じていたのが的中してしまったのか。綺麗すぎる赤ん坊だった夕凪は予想通りこんなにも母親の夕顔さんそっくりに美しく成長してしまった。
男なのに……僕の記憶の中の夕顔さんと瓜二つだ。こんなにも似てしまうなんで悲劇だ。
この和室で共に川の字で眠ったあの平和で幸せな日々を思い出すと、思わず涙が零れそうになった。
「んっ……ん」
眠っているはずの夕凪は額に大粒の汗を浮かべ、ひどくうなされている。その手を握ってやることしか、僕たちには出来ないのが情けない。
「夕凪しっかりしろ。もう大丈夫だ」
「湖翠兄さん、むごすぎます。夕凪の躰の傷を見ましたか。無理矢理……何度も何度も……形跡が残って……俺は許せません。俺たちの可愛い弟にあんな仕打ちを」
「流水落ち着け。僕も許せない。だが、とにかく今は夕凪の心の平安を願おう」
嫌なことを思い返させて苦悩する夕凪の顔を、これ以上見たくない。また赤子の頃のように無邪気に僕たちに微笑んで欲しいのだから。
****
二人の優しい手が俺を温めてくれる。
大丈夫だからもう安心しろと囁いてくれる。
俺は独りじゃなかった。兄と呼べる人たちが俺のことを待っていてくれた。
だが不快な視線を感じ振り向けば……あの汽車の中の男達の二人の汚れた手が迫って来ていて、俺を再び辱しめようと襲い掛かって来た。
「嫌だっ! やめろっ!」
その手を振り切って、必死に走って走って……その先にようやく明るい光を見つけた。
「そこにいたのか」
そこに立ってたのは、律矢さんと信二郎だった。二人が微笑みながら俺に手を伸ばしてくれる。
「夕凪もう大丈夫だ。こっちへ来い。俺と一緒に歩もう」
「夕凪、ずっと探したぞ。私と行こう、さぁ」
選べる道は一つ。
俺が幸せになれる道はどちらなのだろう。
幸せになりたい。
そう願う気持ちは確かにあるのに、まだその方法が分からなくて……
ただただ、それが辛くて悲しくて……
涙が頬を伝って零れ落ちていくのをただ感じることしか、出来なかった。
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