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君を探し求めて 4
「夕凪は一体どこへ……あいつにはもう行く所なんてないのに」
「もしかして一宮屋に戻ったのではないか」
そう信二郎に告げると、成程といった表情で頷いた。
「そうかもしれない。夕凪は母親と仲が良かったし、あいつはまだ大鷹屋に行かされた本当の理由を詳しく知らないから」
そう信二郎に言われて、はっとした。この男はまさか知っているのか。俺と夕凪の関係を……だからさっき何か言いたそうにしていたのか。
「お前はもしや俺と夕凪の関係を知っているのか」
「……あぁ…お前が大鷹屋の大旦那の息子だということが何を意味するか知っている。だから私はお前に夕凪は絶対に渡せないのだ。その理由は分かるだろう」
「くそっ」
構うものか。選ぶのは夕凪だ。たとえ俺が夕凪と半分血が繋がった兄だろうと。
だが今はこのことで争っている場合ではない。
心を静めて信二郎と協力しあうしかないのだ。
「とにかく夕凪の行方が心配だ。今はまずは探すことが先決だ」
「あぁそうだな。分かった。この話はまた後で……とにかく一宮家に行ってみよう」
「そうしてみよう」
俺達は湖畔の旅館を後にすることにした。
あの庭師が何か言いたげに去っていく俺達を、じっと見つめていた。
****
窓の外に広がる景色をぼんやりと眺めていた。苔蒸した土の香り、草花のむせ返るような緑の香りが濃い。太い幹の樹々から駆け上がって来る風は、生きている大地の息吹を俺の元へと届けてくれた。
だがその匂いは、ここは京都とは全く違う土地だということを俺に実感させ、落胆させるものでもあった。
自然のままに育った樹々。あまり手入れされていない自然界そのものの寺の庭は、何もかもあの俺が過ごした雅な京の世界とは違うのだ。
よく手入れされ繊細な草花が咲き乱れたあの庭。律矢さんと過ごしたあの家の庭のことを思い出す。庭先で共に絵を描いて……友禅のこともじっくりと習うはずだったのだ。
生まれ育った京都へ戻りたい。だが京都にいたときよりも更に汚れてしまった躰で一体何処へ戻れるというのか。
戻る場所のない俺は、一体いつまでこの寺にいても許されるのか。
「夕凪……起きているのか」
襖の影に湖翠さんの姿が見えた。
「はい……今日はだいぶ具合が良いので」
「そうか、だが……まだ風にあたるのは良くないだろう」
そう言いながら湖翠さんは障子を閉めて、俺を布団へ戻した。
「さぁ飲みなさい」
「……はい」
心配そうな瞳でじっと見つめながら熱々の葛湯を飲ませてくれ、そしておでこにそっと手をあてられた。
「うむ……やはりまだ熱があるな。今日はあとで医者がくるから、準備をしなさい」
「えっ医者なんて……俺はもう大丈夫です」
男達に乱暴されたこの躰を医師に見せるなんて耐えられない。そう思うと気分が一気に落ち込んで、呼吸も荒くなってしまう。
「案ずるな。この寺に深い縁の医者だ。何も口外されるようなことはない。夕凪、傷から化膿したりしてはよくないのだ。君の下がらない熱が心配なのだ。だから大人しくいうことを聞きなさい」
「……はい」
「夕凪はもしかして誰かを待っているのか」
「えっ」
突然言われたことに驚いてしまった。
「何故ですか」
「ずっと一日中そうやって庭先を眺めているから……もしかして京都に誰か大事な人でも残してきたのか」
「それは……」
それは……
そんな風に優しく聞かないで欲しい。会いたい人のことをとめどなく思い出してしまうから。
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