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君を探し求めて 7
「そうか……選択か」
湖翠さんは一息ついてから、こう説明してくれた。
「夕凪よくお聞き。:選択(せんたく)とは、いくつかあるものの中から適当なものを選びとることという意味だが、仏教ではこれを「せんじゃく」と読むのだよ。言葉の意味としては同じだが…南無阿弥陀仏の教えこそが最も優れていて最も修めやすい教えだと、お釈迦様が示された数多くの教えの中から念仏一行を「選取」(選び取る)し、その他の一切の余行を「選捨」(選び捨てる)することを言うのだよ」
※サイト参照『仏教用語の解説』
「せんじゃく?」
「そうだ、夕凪の迫られている選択は仏教の選択と同様、どちらをも得ることは難しいだろう。どちらか一人を選んだら、もう一人とはすっぱりと縁を切らねばならないだろう。その方が相手のためにもなるのだから……」
一人を選んだら、もう一人とは縁を切る?
「選取」(選び取る)し、その他の一切の余行を「選捨」(選び捨てる)か……
頭では理解していたつもりだが、いざこうやって湖翠さんから告げられると、とても辛い。
だがそうしないと、いつまでもこの世に未練が残ってしまうのだろう。
「夕凪、君は選べるのか」
「選べない……どちらも同じ位大切な人なんです。俺にとっては」
湖翠さんは優しく俺の背を撫でてくれた。
「どちらも選ばないか……どちらかを選ぶかだよ。では、もしもその人がここを見つけて訪ねてて来たらどうする? 夕凪はついていくかい? 」
「そんなことあるはずがありません。俺がここにいるなんて、誰も知りません。だからそんなことは起こるはずがない」
「夕凪……それは分からないよ。人生は先のことは何一つ決まっていないのだから」
「でも」
「夕凪」
静かな声で諭されると、確かに本当に先のことは分からないと思った。呉服屋の跡取りの若旦那として華やかに幸せに暮らしていた俺が、今ここにいるのだって……本当に人生とは分からないものだ。
もしも運命の巡り合わせが、再び俺のもとに訪れてくれるならば……
「俺を、もしも見つけてくれる人がここに来たら、その時は付いて行きます。その人と一緒に、何があっても行こうと思います」
本心からそう思った。信二郎なのか律矢さんなのか……それは分からない。でももしも俺のことを見つけてくれる人がいたら、俺はその人の手を取って旅立とう。そう決心した。
「そうか……そうだね。どうしても決められないのなら、それもいいね。運命に委ねるのも……だがその日が来るまではここで僕たちに甘えてゆっくりと過ごしなさい。もし誰も来なかったら、ずっとここにいたらいい。僕たちは夕凪ともう離れたくないのだから」
「はい。本当に何からなにまで……俺なんかに、ありがとうございます」
窓の外に目をやると、つむじ風に庭の草花が揺れていた。
落ち着かない俺の心のように、ざわざわと……
****
「この男性を見かけませんでしたか。恐らく昨日の夕方以降、ここから汽車に乗ったはずなんです」
「すみません。この男性を知りませんか」
「ちょっといいですか? この写真の男性を」
信二郎と二人で手分けして、夕凪を見かけた人を探した。京都駅はいつも人でごった返しているので、この雑踏に埋もれてしまえば探すのは難しいと分かってはいたが、一縷の望みをかけて、必死に探した。もう何時間経っただろう。声も枯れ足も棒のようだ。
「信二郎、見つかったか」
「いや駄目だ。お前の方は」
「こっちもだ」
太い柱にもたれ、息を切らしながら二人でうなだれていると、売店の女性が近づいて来た。最初にここに着いた時、まず声をかけた相手だった。その時は知らないと言っていたが、なにか思い出したのか。
「あの……の写真もう一度見せてもらえるかしら? 」
「何か思い出したのか?」
「ええっと……昨日仕事が終わって帰るときに、この柱にもたれていた男性かもしれないわ。随分と上等なスーツを綺麗に着こなしているなって思って」
「何? 本当にこの男性だったか」
売店の制服を着た女性に夕凪の写真を見せると、彼女はまじまじと見つめ大きく頷いた。
「えぇそうよ。男性なのに随分美しい顔をしていて印象に残っていたの。確かにこの人だわ、さっきは売店が忙しい時間帯で、よく写真を見ていなかったので悪かったわね」
「夕凪だ。それで彼はどこへ」
「ええっと……私は汽車でここまで通勤しているの。彼はね同じ汽車に乗ったのよ」
「それで!その汽車は?」
思わず勢いよく女性の肩を掴んでしまった。
藁にも縋る思いだった。
手がかりが欲しい!
夕凪の足取りを掴みたい!
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