君を探し求めて 12

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君を探し求めて 12

「律矢っ……」 私が大声で呼び止めても、あいつは振り返りもせずに行ってしまった。ここまで一緒に来て、あと一歩で夕凪の行方が掴めそうなのに、一体何故だ。 「君たち、あったあった! これだよ」  さっきの駅員に再び呼ばれ、薄汚れたヨレヨレな紙切れを渡されたので開いてみると、そこには東京の住所と届人の名前が書かれていた。なかなか勇ましい筆文字だった。 『須藤 海風(すどう かいふう)』  男性か……住所は東京の本郷か。よし! ここへすぐに行ってみよう。東京は些か不慣れだが、本郷のあたりには何度か商談で行ったことがある。それにこの男性なら車中での夕凪の様子を見聞きしているかもしれない。 「あんたさー身内なんだろ? 大方、家出した弟の行方でも探しているのか。そんな青ざめた顔して、なんかいわくつきならこの鞄ごと持って行っていいぞ。その馬鹿でかい荷物は場所を取って困っているんだ」 「ありがとうございます」  嬉しかった。今の私には、これだけが夕凪とつながっているものだ。  夕凪の香りと温もりを彷彿させるこのトランク。  ぎゅっと革の持ち手を握りしめ、駅舎を後にした。 ****  信二郎と別れてから、こんな気持ちで京都に舞い戻ることが出来ずに上野にやってきた。  せっかく東京まで来たことだし先般話題になっていた※東京府美術館に寄ってみようと思ったのだ。  上野駅構内は行き交う人でごった返していた。煤臭い匂いの中、行商の荷物が肩にお構いなしにぶつかって来る。そんな雑多な中でも俺は夕凪に似た青年を探して、つい立ち止まってしまう。だがどんなに探しても、どんなに目を凝らしても夕凪のような美しい立振舞いをする青年は、この上野にはいなかった。  気を取り直して東京府美術館へ向かうと、遠くから見てもその建築様式が美しかった。ずらっと並ぶ柱を仰ぎ見るように階段を上がって、正面入口から広間をまっすぐに進むと彫刻室に下りる階段に出たので、そのまま地下に降りてみた。地下だからさぞ暗くじめじめした場所だろうと思いきや、その場所は驚いたことに吹き抜けになっていた。  天井が抜けるように高く、その上に設置された天窓から降り注ぐ光に満ちた明るい空間だった。 「え……夕凪…?」  柔らかい自然光が差し込むその先に夕凪が立っていた。少しはにかんだような優しい笑顔を浮かべて…… いや、それは幻だと分かっているが、それでも嬉しかった。  夕凪……やっと笑ってくれたのか。  最初は傷つけて粗末に扱ってしまった。本当にすまない。君は二度と巡りあえない、大切な存在であって、同時にもう会ってはならぬ人だ。  せっかく巡り会えたのに、一時はこの腕の中に抱いていたのに。  後悔と懺悔と悲しみと苦しみ。  そんな複雑な感情を、その光の先に浮かぶ夕凪がすべて打ち消してくれた。  夕凪の笑顔によって俺は苦しみから解放された。押し潰されそうな辛さは光に吸い込まれるようにどこかへ消えてしまった。   今ここには、さっきまで嵐のようにわざめいていた感情は一つもない。  まさに、無風状態のようだった。  光あふれる地下展示場には、穏やかな凪の時が広がっていた。  夕凪が作ってくれた、穏やかな心が落ち着くひと時だった。 ※東京府美術館(現在の東京都美術館) 東京都美術館 は、1926(大正15)年5月1日に東京府美術館として開館しました。早稲田大学や東京美術学校で教壇に立ち、多くの後進を育てた 建築家岡田信一郎の設計によるものです。その建物は、四方の入り口に 列柱を配したヨーロッパ古典主義 の建築でした。 (HPより引用)
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