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白き花と夏の庭 3
京都祇園
あれから一年の月日が経ち、再び君を失った季節がやって来た。
抜け殻のような夕凪の上着を握りしめ帰路についた列車の揺れと匂い……あの日の悔しさを夕暮れ時になるといつも思い出してしまう。だが辛い思い出の裏には、いつだってあの山荘で共に過ごした甘い想い出が散らばっていた。
最初は無理矢理奪ってしまった夕凪の細い躰だった。俺のものとし強引に抱き続けた。そうやって過ごすうちに、君は確かに俺のことを見てくれるようになった。お互い心を通い合わせた時も会った。そう信じてやまない。
結局この世で俺達は縁がなかったのか。俺と君との間には半分の血縁……それ以上の縁はなかったのか。
窓を開け夕凪の空の下に、君の面影を探すがどこにもない。あの日あの場所で肌を合わせた時に感じたむせかえるような花の香りはもうどこにもない。俺の部屋の夕凪の上着以外……俺にはもう何も残っていない。
ガシャンっ…
突然、作業部屋で何かが倒れる物音がした。覗いてみると、窓際に置いていた染料の缶が風邪で倒れ、机に大量に零れていた。
「あっ!まずい」
壁際に掛けておいた夕凪の上着は無事だろうか。慌てて近寄ると数か所シミのように赤い染料が飛んでしまっていた。
「くそっ」
もうこれしかないのに。これだけが……俺の夕凪なのに。夕凪が汚れてしまったような気がして具合が悪い。どうにも不吉な血の色にみえてゾクリとした。早く、早く落としてやりたい。
上着を乱暴に衣紋掛けから外して、ドタバタと廊下を歩き、女中を探した。
「おいっ! お前、これを落とせるか」
「律矢さま、何をでしょうか」
「ここだ、ここに染料が飛んでしまった」
「分かりました。やってみますので、お貸し下しさい」
「落とせそうか」
「ええ恐らく。早速洗濯場へ行って参ります」
「頼む!大事なものなんだ」
「あっはい承知したしました」
女中は不思議そうな顔をしていた。それもそうだろう。明らかに俺のものではない上着を、心底大事そうに抱えて来たのだから。
そのまま机の上を片付けていると、先ほどの女中が上着を片手におずおずとやってきた。
「なんだ? ちゃんと落ちたのか」
「あっあの……落ちそうなんですが、実はこの紙きれが先ほどの上着の胸ポケットに入っていまして」
「何だ? こっちに寄こせ」
何の気もなしに女中の震える手から、紙切れを奪い取った。それにしても夕凪の上着から出て来た紙切れとは、一体何だろう。
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