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心根 こころね 3
行く当てもない寂しい旅だった。
一生傍にいたいと思った人を捨てて飛び出したのだから、当然か。
余命幾許もない。
もう湖翠の傍にいれないのなら、やりたいことなんて何もない。
俺の心臓はもう限界だ。
最後の力は湖翠を抱くことで使い果たした。
最悪だが、これが俺の中では最上の別れ方だった。
湖翠を残してあの世へ逝かねばならない姿だけは、決して晒したくなかった。
許してくれ。
酷いことをした俺を……
汽車に揺られながら、北鎌倉の朝を思い出していた。
****
抹茶に睡眠薬を忍ばせ、湖翠の意識を奪った状態で、男同士、兄弟同士で深く交わった。
とうとう禁断の果実を俺は味わってしまった。
やがて夜が明ける頃、まだ薬が抜けない湖翠の躰を清め、清潔な浴衣に着替えさせた。
湖翠のしなやかな躰……もう見納めだ。
俺がつけてしまった痣のような痕が、障子越しの朝日に照らされ浮かび上がった。
こんなものを残したら苦しめるだけなのに、一生消えなければいいとすら思ってしまう酷い人間だ。
心臓の下の一際鮮やかに咲いた花のような痕を、そっと指先で撫でた。ずっと消えなければいいのに……ここだけは。
これが今生で湖翠の生身に触れる最期だ。
お別れだ、湖翠。
俺の溢れんばかりの精を受け止めてくれてありがとう。
俺はいなくなるが、お前の中に宿って生きて行く。
傍にいるから……ずっと。
だからきっといつか再会しよう。
一番近いところに、また生まれて来るから。
****
どこへ行こうかなんて決めてなかった。
誰にも見つからないところで、この命をひっそりと終わらすことが出来ればいいと思った。
北鎌倉から西へ汽車に乗り、心の赴くままに海が見える駅で降りた。
それから松林を彷徨い歩いた。
砂浜に足を取られ息が上がる度に、心臓が締め付けられるように痛かった。
あと何日持つのだろうか。
飲んでももう無駄だと悟り、薬も断っている。
「はぁ……はぁ」
自分の苦し気な吐息と波の音しかしない世界だ。
あぁ……でも……潮の匂いがする。
湖翠と肩を並べて眺めた由比ヶ浜の海岸を思い出す。
俺が死んだら、この波が俺の魂を拾ってくれるだろうか。
そんな想いを抱き、松の木に躰をもたれさせた。
「湖翠……」
その名を呼べば、近くにいけるような気がして、何度も何度も繰り返し呼んだ。
声が枯れるまで……
命が枯れるまで呼び続けようと思った。
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