第一章 鋼持つ勇者

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「おはよう龍斗、今日はいつもより早いじゃないか」  〝一限目の終了〟を告げるチャイムから約5分、教材を片付けた教師の姿が見えなくなったのを見計らって教室に現れた竜斗を出迎えたのは、そんな一言だった。 「っせーよ……ったく、今日こそイケると思ったのに」 「いったいどこから出てくるだい、その自信は」  軽口に悪態で返す竜斗は声の主の隣の席に腰を下ろし、そのまま机に突っ伏してしまう。  そんな姿を呆れたように笑う声の主である少年、名は日下 獅己【くさか しき】という。  竜斗とは初等部からの付き合いであり、同じ剣道部で竜斗と並んで高等部一年からレギュラーの座を勝ち取った凄腕剣士である。  初等部時点で周囲から頭一つ飛び抜けて強かった二人が、初勝負でライバルになり勝負を繰り返す内に親友になるのにそう時間は掛からなかった。  平均よりも高い身長と鍛えられた筋肉質な身体に好戦的な眼つき、不衛生にならない程度にボサボサな黒髪が野性的な竜斗。  逆に線が細いが華奢というよりはスマートに鍛えられた身体と、やや茶色掛かったサラサラの頭髪に優し気で柔らかい表情の獅己。  対照的な外見も相まって何かと比べられる二人だが、むしろお互いにそれを楽しんでいる節もある。  ちなみに余談ではあるが、現在の学内公式戦績では獅己が勝ち越している。 「気持ちは判るけど次の授業、現国だよ」 「げ、牛眼鏡かよ……」  隣の席から投げ込まれた親友の助言に顔をしかめつつ、なんとか身体を起こして授業の準備を始める竜斗。  過去この授業で居眠りをやらかした時の悪夢が脳裏を過るのか、教科書やノート、筆記用具などを必要以上に確認し「アレもよし、これもよし」と自分に言い聞かせている。  因みに、〝牛眼鏡〟とはこの狩尾学園の中~高等部の現代国語を担当する男性教師の愛称である。  苗字に〝牛〟の字があり眼鏡を掛けた長身の若い男性教諭で生徒達からの人気もあるが、反面居眠りや宿題忘れ等で生徒達へ与えるペナルティは竜斗の精神力を以てしても思い出したくもない程に厳しい。 「ご愁傷様、病欠ならお咎めなしだったのに」  竜斗の反応が余程可笑しかったのか、口元を押さえて笑いを堪える獅己。 「今更言うなよ……」  多少無理をして起きてきた自覚がある竜斗は、教室の壁面、教壇の上に付けられた時計の時間を確認して改めて準備した教科書等の上に突っ伏す。  授業開始まで残り3分程。せめて少しでも休もうの瞼を閉じた竜斗の首筋の辺りに、チリチリとした剥き出しの害意の様なモノが、刃物でも突き付けられている……いや、口を開けた蛇の牙が首筋を狙っている様な危機感が走る。  ゾクリと、背筋を走る危機感と脳裏を過ったイメージに、咄嗟に上体を起こして気配のした方へ振り替える。  てっきりクラスメイトか、あるいは件の牛眼鏡の質の悪い悪戯かとも考えたのだが、意外にも竜斗の視線が捉えたのは一人の女生徒だ。 「──竜斗?」  獅己の訝し気な声が聞こえるも、竜斗は自分が感じたモノの正体を探るべく女生徒を観察する。  教室の最奥から二列目、後ろから三つ目の席。  端過ぎないお陰でかえって目立たない席で、なんというか黒い……いや暗い感じの女生徒が文庫本に目を落としている。  制服自体はきっちりと着ているが、オシャレに対する意識は低いのか背中まである長い黒髪はあまり手入れがされておらずボサボサと言っていい。  前髪も伸び放題で、その奥にたまにチラッと光の反射が見える事から眼鏡を付けているらしいことが窺えるくらいだ。  地味すぎて逆に目立つ容姿の女生徒だが、不思議な事に竜斗はその女生徒の名前も顔も覚えがない。 「なぁ獅己、あの本読んでる黒髪の……えっと」 「輝咲【きざき】さんだね、彼女がどうかした?」  質問の途中で最低限の答えが返ってきた。  苗字は輝咲と言うらしい。  こう言っては失礼だが、見た目からは想像すら難しい明るそうなイメージの名前だ。  しかしそれだけで竜斗の疑問がすべて晴れた訳ではなく、本人に聞こえない様小声で質問を続ける。 「ぶっちゃけあんな子、ウチのクラスに居たっけ?」  沈黙と共に侮蔑、とまでは行かないがたしなめるニュアンスを込めた視線が返される。  数瞬睨みつけた後、獅己はワザとらしく溜息を吐いて見せ竜斗に耳打ちする。 「いくら毎日剣道漬けでも、今のは流石に失礼じゃないかな?」 「わ、わりぃ……自覚はしてる…….」  バツが悪そうに謝る竜斗にもう一度溜息を吐くと、獅己が件の女生徒について簡単に説明を始める。  彼女、輝咲 碧【きざき みどり】はこの学園では珍しい高等部からの編入生であり、驚くことに去年も竜斗達と同じクラスだったらしい。  竜斗にしてみれば初等部中等部からの顔見知りや友人ばかりの中に、ポツリと一人だけ知らない生徒が混じっていたのと同じ感覚なのだ。  特に去年一年は打倒ラファーガに全力を注ぎ、夏前からレギュラーとして剣道一色の生活だったのも災いし極端に目立たない碧の事を意識する事なく一年を過ごしていたのだろう。 「それで、そんな竜斗がどうして突然輝咲さんの事を?」  一通り説明し終えた獅己が、ようやく本題だとばかりに切り出す。 「あ、いや……上手く説明できねーんだけど」 「皆さん、席に着いてください。間もなくチャイムですよ」  獅己に言われて先ほど感じた謎の危機感を説明しようと言葉を選ぶ竜斗を他所に、教室の戸を開けて若い男性教諭が姿を見せる。  爽やかな微笑でスーツを着こなす長身細身の男性、ファッション誌にでも載ってそうな清潔感ある髪型とお洒落な眼鏡。  件の牛眼鏡こと、牛城 創路【うしき いつじ】国語教諭である。  先ほどもあったが、授業中に問題を起こした生徒へのペナルティは容赦がない。 「悪い獅己、また後でな」 「そうだね」  獅己と短いやり取りを終えると、教壇側へ向き直る瞬間に碧の様子を窺う竜斗。  文庫本はいつの間にか仕舞い、丁寧な手つきで教科書のページを開いている所だ。  少なくとも、竜斗の命を脅かすような危険を孕んだ存在には見えない。 (いったい、なんだったんだ……?)
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