その美しさに手をのばす

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『用事ってわけじゃないんだけど言いたいことがっ!』  裏返った声を微笑ましく思いながら、言葉の続きを待つ。 『あの、あのね。一高で文芸部の部長だった子、美晴ちゃんって分かる?』 「えーと、三年で同じクラスだったかな。……谷本(たにもと)さんだっけ?」 『そう。谷本美晴ちゃん。悠久関連で仲良くしてたフォロワーさんが美晴ちゃんだったの。冊子の通販を申し込んでくれててね、連絡先のやりとりしたら美晴ちゃんで、お互いすっごくびっくりした』 「へぇ、すごい偶然だね」 『うん』と嬉しそうに片山は頷いた。谷本は現在熊本市内で働いていて、次に片山が帰省したときに会う約束をしたという。弾んだ声で教えてくれたあと、少し間があってから『ありがとう』と片山は言った。けれど、何のことだか分からない。 『高校の頃って結構無理してたから、連絡取ってる子もういなかったの。でも、今はちゃんと無理してない。職場の子にも、オタクって隠してないし。沢崎のおかげだよ』  その言葉を聞いても、やっぱり首を傾げる。「俺は何もしてないよ」と言えば、『ううん』と片山の声が返ってくる。 『沢崎があたしを美人だって簡単に言ってくれたから、それを単に事実として受け入れられるようになったっていうか。そしたら、人間関係が楽になったよ。昔は自分に対する嫌悪感みたいなのがすごく大きかったんだけど、あたしは別に何にも悪いことはしてないんだって思えるようになったから。そしたら、周りの子たちとも頑張らずに付き合えるようになったよ』  思いもよらない言葉だった。そんな大層なこと俺はしてない。そう思った。けれど、片山が本心からそう言ってくれているのだということも理解できる。だったら楓が意図したものではなくとも、楓の言動が片山に何かを――たとえば安らぎだとか心地よさだとかを――もたらしたのだと、今の自分ならちゃんと受け止められる。 「じゃあ、俺もね。君のおかげで兄さんへのコンプレックスを乗り越えられたよ」 『えっ、あたしは別に』  驚いたような片山の声に、「同じだよ」と楓は返す。 「君はずっと、俺の絵をすごいって言ってくれた。たぶん、君にとっては何気ない言葉だったんだろうけど。でもそれで俺は絵を描き続けられたし、君が言ってくれる『すごい』にちゃんと応えなきゃって、覚悟を決められたから」  暗くなったパソコンの画面、液タブにタッチペンを触れさせて、完成間際の絵を表示させる。これは、ライト文芸レーベルが募集しているイラストコンテストへ応募するためのもの。  絵を描くことは好きだ。好きだからこそ恐れていた。のばした手の指の隙間を、簡単にすり抜けてしまったとき、果てのない絶望に囚われるんじゃないかって。向き合う勇気をくれたのは君。俺は君を、ずっと大切にしたいよ。 『そう、かな。力になれたんだったら、よかったけど』  はにかんだ声が愛おしい。会いたいなぁ、と胸に込み上げた衝動は声になっていたようだ。 『あたしも会いたい、……な』  甘やかな言葉が不意に返ってきて、楓は口元を手でおおった。
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