その美しさに手をのばす

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 ――ねえ、私たち並んでたんだけど。ただちょっと買い忘れがあったから離れただけよ? すぐ戻ってくるなんて分かるんだから置いてあるカゴが先でしょ。あんたどんな脳みそしてんの。  ――ちょっとブス、あんた顔も頭もヤバいの?  高そうなコートを着た母娘は、高校生らしきレジの少女にまくしたてる。しばらく成り行きを見ていたが、あまりの言い様に口を開く。非常識なのはあなたたちの方だと思いますけど――言おうとして、けれど横から放たれた澄んだ声に先を越された。 「どっちが非常識なのか、言われなきゃ分かんないんですか。みんなレジ並んでるのに、そんな腕いっぱいに商品集めてきて、後の人を待たせるのはおかしいと思います」  彼女が前に進み出ると、艶のある髪がさらりとなびいた。 「そっちの人も、その程度で中身まで残念って、これから生きてくの大変そうですね」 「はあ?」と鬼のような形相がこちらを向いた。けれど言葉も表情も固まった。当然だ。彼女を見て、何か言い返せるはずがない。母娘は腕に抱えていた商品をレジ台へ乱暴に放り、「店員も客も頭悪いのばっかりね、こんな店、もう二度と来ないから」なんて捨て台詞を残して出て行った。「すみません、お騒がせしました」と、少女は周りの客に頭を下げながら商品を手早くカゴに回収した。  しばらく待って会計の番が来たとき、「すみませんでした」と少女がふたたび頭を下げてきた。「えー、あなた全然悪くないですよ、高校生ですか? すごくしっかりしてて偉いです」と、美しい彼女は美しい笑顔で少女に言葉を返した。 「バッチリメイクしといてよかった」  店を出て、缶チューハイや菓子が詰まったビニール袋を下げて歩きながら、彼女はいたずらっぽく笑う。大学生になった彼女のまぶたにはアイシャドウの陰影が付き、意思の強そうな大きな目がデルブーフ錯視でより大きく見える。頬や唇の華やかな色味は、水彩タッチの淡い肌を可憐に飾り立てる。もしテレビや雑誌に出ていてたとしても、きっと一番に目立つくらい、彼女はさらに美しくなった。――でも。  でも、メイクをしていなくったって、あんなやつらより君の方がずっと綺麗だ。  あのとき、心からそう思った。そのときの感情を、強く鮮明に、今でもふとしたときに思い出す。
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