念送りからの伝言

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念送りからの伝言

ところで貴女様は、私たち「念送り」についてはもうとっくにご存知でしょうね。普段私たちの存在について、どなた様かと深く語り合ったりすることはなさらないのでしょうし、「念送り」という名があることはご存知なかったかも知れませんが、たいていの方は、「念」の存在自体を肌で感じていらっしゃるはずです。もしかすると皆様は、私共が日々行なっております「念送り」について、「運」ですとか「願い」ですとかと混同してしまっているのかもしれません。人の手の及ばない世界という点において確かに非常に共通している部分がございますので、勘違いされるのもしょうがないことかと存じます。では、どこがどう違うのか。そもそも、私共念送りの仕事とは何であるのか。まず、それらのことからお話をさせていただきたいと存じます。  まず、私共が従事していおります「念送り」という仕事について、お話をさせていただきます。とはいえ、私自身、一体いつからこの仕事をしているのか。例えば1日何件を担当するのか。「念送り」とは何人いるのか。皆様が想像のつきやすい数字については残念ながら皆目検討がつかないのでございます。ぼんやりと仕事をしているようで恥ずかしい限りなのですが、死してこの方、現在に至るまで「念送り」として人様から送られてきた「念」を行くべきところにお届けをしてまいりました。ここで少し自慢話をさせていただきますとね、誰もが携われる仕事ではないのですよ。「選ばれし魂」のみが、「念送り」になれるのです。いつどこで私が選ばれたのかと申しますとね、それは死んでまもなく、ということになります。今となっては遠い昔のことになりますが、思い出せる限りで私が「念送り」になった経緯からお伝えしようと思います。  屍人は皆、等しく三途の川を渡ります。三途の川のことはご存知ですよね。その川は、皆様が想像しているような暗く、寂しく、決して戻ることのない川ではございません。むしろまったく逆です。そこにあるのは、静寂や平安、とても心安らぐ、穏やかな場所でした。今世での様々な修行を終え、再び生まれ変わるために全てを洗い流す場所というとらえ方をしていただきましたら、死することへの恐怖も多少はやわらぐことと存じます。その日、私もほかの屍人と共に三途の川の対岸へと泳ぎつき、「あの世」へと静かに足を踏み入れました。三途の川で全てを洗い流した魂は、どの魂も一様にぴかぴかと光り、まるで赤子の目のように純粋で深く、美しい塊になっておりました。暗闇の中であたり一面美しく光るその魂の輝きは、6月の蛍のように幻想的で、あの世にいながら、まるであの世のようだと感じたことを、今でもはっきりと覚えています。そこからどうやって天に選ばれ、「念送り」になったのか。それは眠りに落ちる瞬間、魂が浮遊するような、そんな感覚でした。順を追って話します。対岸に足を踏み入れた私(正確には私の魂ですね)は、三途の川の対岸に座り込んで、あたり一面に広がる魂の輝きにすっかり魅了され、その光景にしばらく見惚れていたのです。と、そのうちに遠くにうっすら何本か流れ星のように光の筋がすっと走っていることに気がつきました。流れ星と違うのは、その筋は天から降ってくるのではなく、地から天へと昇っていくことでした。満点の星空にすっと細筆を走らせたように天に向かって細く引かれた光の筋は、少しずつ自分の方に近づいてきているように見えました。どうするということもなくその光の筋を見ていると、じきにはっきりとその筋を感じるようになりました。少しずつ時間をかけて、自分の方に近づいてくるということに「怖い」とは感じませんでした。むしろ、もうすぐだ、と思っていました。もうすぐ天に連れていっていただける。そんな心踊るような高揚感で全身がかっと熱くなっておりました。しばらくすると、先にお伝えしたような、身体がふわっと浮くような感じがして、ああいよいよ自分の番なのだと悟りました。そして浮遊した私は、天からの強い力に吸い上げられるように、長い長い光のトンネルを音もなく登り続けたのです。私は抗うこともなく、天へつながる細いトンネルの中を静かに登り続けました。どれくらい、と聞かれてもお答えのしようがございません。ある一定の時間が流れ、気づくと私は、そこにいたのです。対岸で見た、細い光の筋があちこちに走る、その世界に。
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