ヴァール・ディークが次期夫候補となったお話。

1/1
108人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ

ヴァール・ディークが次期夫候補となったお話。

ディーク帝国の王族が住まう城の庭で、植木の中でじっと息を殺していると、がさがさと植木がかき分けられる音がする。 見つかる、と目を強く瞑るが、予想していた叱責の声はなく。 「こんなところで、なにをされていますの?」 今にして思えばこちらの台詞だったのだが、そう俺に問いかけたのは、くりっとした丸い瞳が印象的な幼女だった。 ――まぁ、この当時は俺も幼かったわけだが。 「せんせいのじゅぎょうが、こわいからかくれてるんだ」 「まあ、こんなところで?ここにひとりなんてさみしいでしょう。わたくしもいてあげますわ」 にこりと微笑む幼女に、胸が騒がしくなったのを覚えている。 この頃の俺には、それが一目惚れだったなんて知る由もなく。 「きみのなまえは、なんていうの?」 「わたくし、フィーラといいますわ。きょうは、おとうさまとまいりましたの」 「なにかようじだったんでしょ?いかなくていいの?」 「だって、ないているひとを、ほっておけませんわ!」 泣いていた覚えはなかったが、それでも寂しい顔や悲しい顔をしていたのかもしれない。 その場で否定しようと思ったものの、当時の俺は、泣いていないと言えば彼女がここを離れてしまうと思って言い出すことはできなかった。 結局、その後すぐに家庭教師に見つかった俺たちは、仲良く叱られたわけだが、その出来事は幼い俺の心に深く根付き、それはいつしか恋とか愛とか、そういう類のものへと変化していった。 **** 次に彼女に会ったのは、やはりディーク帝国内だった。 ふわりと緩くウェーブの掛かった金色に輝く髪は艶めいているし、くりっとした瞳は変わらず愛嬌があるし、絹のような滑らかな肌は各国を巡っているというのに日にも焼けず白く透き通っている。 12歳となり立派な成長を遂げた彼女は、幼さは残しているものの誰が見ても美しい。 この国で成人と認められる17歳となる頃には、きっと更なる美貌となっていくことが容易に想像できる。 ――幼き俺が出会ったフィーラという幼女が、勇者、フィルフォン・ハイラーク公爵の娘であると知るのは、そう遅くはなかった。 何しろ、勇者であるフィルフォン・ハイラーク公爵がこの世界で最も有名であり重要人物であることは、皇子教育中何度も学ぶことであった。 その次の勇者となるであろう彼女のことも、同時に知った。 12歳であるフィーラ公爵令嬢は、既に現勇者であるフィルフォン・ハイラーク公爵よりも次期勇者としての力を強く有していた。 そのため、フィルフォン・ハイラーク公爵の勇者としての巡礼に付き添いながら、魔獣の討伐を遠隔的に行えないか試行錯誤していると聞く。 自身の皇子教育のために巡礼の場に立ち会うことが少なかった俺が、今回たまたま立ち会えることとなり、俺は柄にもなくこの日を楽しみにしていたのだが。 「初めまして、私、フィルフォン・ハイラークの娘、フィーラ・ハイラークと申します」 「…ヴァール・ディークだ。魔獣の討伐、感謝する」 ――フィーラ公爵令嬢は俺のことは覚えていなかった。 よくよく考えれば、あのとき俺は自分で名乗りもしなかったのだから当然だ。あの少年だった自分と、今の自分が同一人物であるとわかるはずもない。 「私はまだ直接の魔獣の討伐は行っておりませんけれども、今回は朗報がございますの」 「ほう、」 「お父様が、国王陛下へと今ちょうどお伝えに伺ったところですので、ヴァール殿下には私からお伝え致しますわね」 「ああ」 嬉しそうに目を細めて笑うフィーラ公爵令嬢は、やはり美しい。 皇子教育の一環で、表情で多くの情報を相手へと与えてしまうため、よっぽど信頼した相手以外には表情の抑揚を見せてはいけないと学んでいる。 そんな教育が身に染みているおかげで表情を崩すようなことはないだろうが、それでも緩んでしまいそうになる気を引き締め直して、フィーラ公爵令嬢の言葉に耳を傾けた。 「今回、父が小範囲ではありますが結界を張ることに成功致しましたの」 「結界というと…それは、魔獣を寄せ付けなくするためのものか?」 「ええ、その通りですわ。父が結界内にいる間と外にいる間で結界の強さが変わるのか、どれくらいの力を注げばどこまで範囲が広げられるのか、またいつまで持つのか――それは、これから細かく確認するところではございますけれども、今のところでは使い方のコツさえ掴めばそれ程力は消費しないようですわ。将来的には、定期的に結界を張り直す必要はございますが、私一人で全国領土への結界を張ることも不可能ではないと考えております」 「なんという…、そこまで可能なのか」 「ええ。ですので、こうして父のようにこまめに巡回せずとも、魔獣からの危機は限りなくゼロに近づけると思いますわ」 「では、各国を巡る苦労もなくなっていくわけだな」 「ふふ、ええ。お気遣い頂きまして、感謝致しますわ。今朝の朝食も美味しく頂きました」 感謝されるいわれもない。感謝するのは、こちら側だ。 勇者という称号、誉はあるとはいえ、フィルフォン・ハイラーク公爵も次期勇者のフィーラ公爵令嬢も、各国を魔獣から救う義務はない。 言うなれば、ただの慈善事業でしかないのだ。 彼女らは国に留まる間の必要経費だけは快く受け取ってくれるが、それ以上の褒賞等を受け取ろうとはしない。 もちろん我が帝国も以前より支援の申し出をしているものの、宿泊するための宿や食事のみの享受で留まってしまう。 「ただ、暫くは父が勇者として活動致しますし、試行錯誤中ですから、そのようになるのもまだ先のこととなりますわ。私が勇者を継ぐまでの間に、それが可能になるように致しますので、お待ちくださいませね」 「私共はお願いする立場だ、どうか、無理のない範囲でと思っている」 「ありがとうございます。ヴァール殿下はお優しくていらっしゃいますわ。あの殿下とは大違いでございます…」 「あの殿下、とは」 小さく呟かれた一言を問うと、フィーラ公爵令嬢は困ったように微笑む。 「――申し訳ありませんわ、つい。お気になさらないで下さいましね」 「…そう言われると余計に気になるのだがな」 そう伝えれば、フィーラ公爵令嬢は小さく溜め息を吐いた。 立ち入りすぎただろうか、と思ったが、彼女は優しく微笑む。 「ありがとうございます。それでは少し、愚痴を聞いてくださいます?」 「ああ」 どうやら、話してくれるようだ。 小さく胸をなでおろして、俺は彼女の話を聞く。 「――結界の見通しが出来てすぐ、私の婚約が決まりましたの」 「婚約…、」 思いもしなかった言葉に、頭を強く殴られたような衝撃が走る。 自分はまだ求婚さえできていないというのに。だが確かに、勇者であることを除いても、彼女は頭の回転も早く頼りになる才媛だ。 次の勇者であるということは俺にとっては付加価値でしかないが、それだけでもきっと引く手数多だろう。 「お相手は、エラデリア王国のギリウス殿下ですわ。エラデリア王国はハイラーク公爵家の領地もございますし、領地がなかった以前は精霊の加護が枯渇していた土地と存じております。そのことが背景にあるとお父様も話しておりましたし、字実際にエラデリア王国国王陛下からの懇願であるとも伺っております。この巡回が終わりましたら、婚約の約定を取り決める予定となっております」 「そう、か…」 「私と致しましては、領地があるとはいえ不在にすることも多くございますし、他の公爵家の方に運営はお任せしておりますから、特にエラデリア王国に強い思い入れがあるわけでもございませんし、他国も同様でございますが…」 「…その、ギリウス殿下に、問題があるのか?」 そう問えば、フィーラ公爵令嬢は言いにくそうに視線を逸らす。 12歳であっても、貴族教育もしっかりと学んでいる彼女は貴族としての政略結婚の意味も俺と同様に理解している。 それでも尚このような表情をされるほどには、きっとギリウス殿下に何かおもうところがあるのだろうが、そこはエラデリア王国の公爵令嬢である。口を噤んでしまった。 「…すまないな、深入りしすぎた。貴国の内情に立ち入るべきではなかったな」 「いえ…申し訳ありません、こんな話を…。父も、何かあちら側の不義があった際にはすぐにでも破棄できるような約定にして下さると仰っておりましたし、ただの私の杞憂ですので…」 「……」 ギリウス殿下は各国が集まる会議で見かけた記憶しかない。特に強い印象はなく、ただ委縮しているだけの平凡なものであったとおもうが…。 しかし、聡明なフィーラ公爵令嬢が危惧するのだから、何かしら問題があるのは確かなのだろう。 「…フィーラ公爵令嬢」 「はい」 フィーラ公爵令嬢を見つめると、フィーラ公爵令嬢もこちらを見つめた。 翡翠色をした瞳が俺を写したことの喜悦が胸に広がる。 「もし貴女が嫌でなければ、俺を次の夫候補とすることを検討して頂けないだろうか」 「――…え?」 彼女の表情が驚きのそれへと変化する。 こんなことを今言うのは卑怯かとも思ったが、しかし、約定を取り決める前の今でなければもう間に合わないかもしれない。これが、彼女を手に入れるための最後のチャンスとなってしまうかもしれないのだ。 「それは、」 「ギリウス殿下との婚約が破棄と相成った場合は、俺の妃となって頂けないだろうか」 「――いつ破棄となるか、そもそも破棄とならない可能性も十分にございますのよ。それでも、次期候補であることを約定として取り決めるということですの?」 真意を探るように、フィーラ公爵令嬢が目を細める。 夫候補としてほしいと言っただけなのに、約定のことまで触れるフィーラ公爵令嬢はやはり頭の回転が早い。俺の言わんとするところも、よく心得ているようだ。 俺がゆっくりと頷くと、フィーラ公爵令嬢は小さく溜め息を吐いて。 「…次期帝国国王である貴方様でしたら、選り取り見取りでしょうに、変わったお方。私と結婚が相成れば確かに土地の精霊の加護は強まるでしょうけれども、それでもこの土地は元々精霊の加護が強くていらっしゃいますわ。私が婚約破棄となるか、実際に婚姻となるかが分かるまで妃の席を空けておく程に有意義なものであるとは到底思えませんけれども」 呆れたようにそう話すが、強く嫌がる様子も見受けられないと判断した俺は、それでも我が帝国には意味があると押し通す。 それでも些か納得していない様子で、彼女は眉尻を下げていた。 「ヴァール殿下の優秀さは耳にしております。一個人の同情で仰っているとは勿論思っておりませんけれども、もしそのような気持ちが少しでもあるならば、それはお捨て下さって構いませんわ」 「――俺の噂を耳にしているのであれば、俺への求婚が多いこともよくご存じだろう。貴女の行く末が決まるまで待ったとして、俺が妃を貰い損ねることはないことも、ご理解頂けるか?」 そう、からかうように口端を上げれば。フィーラ公爵令嬢も、面白そうに笑って。 ――こうして、フィーラ公爵令嬢とギリウス殿下の婚約が決まったその日、ヴァール・ディークがフィーラ公爵令嬢の次期夫候補となることも、約定として取り決められたのだった。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!