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タルトタタン
大きく椅子が動く音が、一年七組の教室に響く。「お前!」と怒る、男子生徒の声も。
ほとんどのクラスメイトはすぐに、後ろのほうの席に注目した。
井口未菜は、すこし遅れて後ろのほうを見た。急に怒鳴った子の席を。
「お前!」と怒ったのは、未菜にとって、保育園から知っている男の子だった。
奥山隆之介だと、知っていたから、怒鳴り声を聞いてもあせらなかった。
彼が単細胞なのは昔からで、たまにすごく怒るのも昔から。だけれど仲直りも上手な性格なので、きっと大丈夫。今回もたいしたことはない。
……ほんとに隆之介くんはしょうがないなぁ。
未菜は姉のような気持ちで、隆之介を見つめた。
彼は席から立ちあがり、前の席の男子を睨んでいた。あどけなさが残る顔立ちで。
「なんだよ奥山」
怒鳴られた男子は、よく『目元が芸能人に似ている』『かっこいい』と囁かれている。未菜はそう思っていない。……似ていると言っても、騒ぐほどではないし。
「いきなり怒鳴るなよ。気持ち悪い」
……かっこいいひとは、もっと言葉を待てるひとだ。
「おま、お前……」
隆之介は大きな目と声を、わなわなと奮わせていた。言葉が出てこないかわりに、机の上のプリントをぐしゃりと丸める。プリントの文字は、つぶされて読めなくなった。
「お前! ――よせよ!」
担任の男性教師は、教壇から「静かに」と叫んだ。隆之介は気がおさまらないのか、立ったままだ。
「……座れよ。隆之介」
教師とは別の声が、隆之介にかかる。
隆之介の隣に座る、谷元蓮司の声だった。
蓮司は隆之介の親友で、未菜とも、昔は仲が良かった。
蓮司は細顎で眼鏡をかけている。あまり騒がない性格のせいか『冷たそう』と囁かれるが、未菜はそう思っていない。
……蓮司くんは親切だし。いやなことがあるとカーテンの裏に隠れるくらい、気が小さかったんだから。
「迷惑だから座れ」
蓮司は眼鏡ごしに親友を見すえた。
「蓮司」隆之介は声を落とした。
「でもよ、蓮司」
「いいから」
蓮司がぴしゃりと言った。
「……すみません。先生」
隆之介はしぶしぶ椅子に座った。
「……読み間違いをからかわれて、かっとなりました」
隆之介は前の席の子にも謝ったが、あとで職員室に来るように言われた。
ホームルームは「週末は駅前でハロウィンイベントがある」という案内で、締めくくられた。
放課後。未菜は前髪につけたヘアピンを直しながら、プリントを見ていた。
隆之介が丸めたプリントには『LGBT』と大きく書かれている。性的少数者についての説明文と、理解を促す声明文が、書かれていた。
女性で女性を好きになるひと、男性で男性を好きになるひと、どちらの性も好きになるひと、体と心の性が違うひと……などを『LGBT』や『性的少数者』と呼ぶらしい。
未菜が考えごとをしていると、女の子の友達が三人、側にやってきた。ポニーテールの子が、未菜のボブヘアーを撫でる。
「未菜。週末のハロウィンイベント、行く?」
「うん。そのつもり」
「じゃあ今日、みんなでハロウィングッズを見に行かない? ……仮装パレードには参加しないけどさ。グループでハロウィンの小物をつけて、イベント行こうよ」
「面白そう。私、小さな魔女帽子とかがいいな!」
未菜は、高い声をあげてはしゃいだ。
グループの中で一番声が大きい子が「未菜は猫目だから、猫耳とか似合うんじゃない?」と、明るく言った。
「……でも残念。今日は、はずせない用事があるの」
「えー」
「ごめんね。集まるの今日しか無理だったら、私抜きで、行ってきてよ」
未菜は友達に謝りながら、頭の隅で、隆之介のことを考えていた。
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