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井口未菜は、今年の四月に中学生になった。
中学校は小学校の三倍もクラスがあって、同じ小学校の子は、クラスに五人しかいない。保育園から同じ子はさらに、ふたりにまで絞られる。そのひとりが、奥山隆之介。もうひとりが谷元蓮司だ。
このふたり……隆之介と蓮司は、昔はよく遊ぶ仲だった。
小学校一年生までは毎週、家を行き来していた。仲良し三人組。親たちにそう呼ばれていた。
だけれど成長するにつれて、未菜は、ふたりの家には行かなくなった。かわりに同性の友達と遊ぶ回数が、ぐっと増えた。
小学校では男子と女子が混ざって遊ぶときもあったが、中学校になるとその時間もなくなった。
未菜はそれを普通と受け止めていたが、ときどき寂しかった。
困ったときぐらい特別になにかしてあげたい。そう思った。
未菜は中学校からマンションに帰ると、すぐにパーカーとジーンズパンツに着替えた。そして小銭ばかりが入った財布を持って、マンションを出た。
マンションを出て、主要道路を挟む歩道橋をのぼる。階段をすべてのぼると、隆之介と蓮司が住む住宅街が見えてくる。住宅街にある街路樹は紅葉をはじめている。
……もう中学生になってから、半年も経つんだ。
未菜は赤い葉を見つめて、そう思った。
歩道橋を降りてしばらくすると、甘酸っぱい香りが鼻についた。香りは、洋菓子店の漆喰壁についた換気口から漂っている。未菜の姉が気まぐれに作ったお菓子の香りと、よく似ていた。リンゴと砂糖の香り。アップサイドダウンケーキ。
未菜は『La maison en bonbons』とアクリルの切り文字がついている、洋菓子店の玄関に回った。
自動ドアの向こうにはハロウィンのお菓子が並んでいて――ショーケースの中には飴色のケーキがあった。
未菜は甘い香りに誘われるように、店内に入った。
ショーケースのケーキを買いたいが、手持ちのお金では辛いものがある。
未菜は諦めて、陳列棚のリーフパイを三枚、買い物用のバスケットにいれた。
「いらっしゃいませ」
レジで未菜を出迎えたのは、アッシュブロンドに髪を染めた中年男性だった。『店長』という名札をつけている。
「これ、ください」
未菜はリーフパイが入ったバスケットと、お金を差し出した。リーフパイが紙袋に入れられる間、ショーケースのケーキを見つめた。
蜘蛛の巣を模したチョコレートが飾られたハロウィンのケーキが、一番目立つところにある。その隣に、飴色のリンゴが表面に並んだケーキ。
アップルパイよりも多くリンゴが並べられていることが、未菜の食欲をそそった。
未菜はうっとりとリンゴのケーキを見つめ、ふと、気が抜けた声を出した。
「あれ?」
「どうかしましたか」
店長の男性は、リーフパイを包み終えていた。
「いえ、あの」未菜はケーキの値札を見ながら、もじもじした。
好奇心から、こう聞いた。
「これ、『タルトタタン』ってケーキなんですか? ……リンゴの『アップサイドダウンケーキ』じゃないんですか?」
「ああ、よく似ていますよ」
店長の男性は、未菜の質問に対して、朗らかに笑った。
「違いは……タルトタタンはフランス生まれで、アップサイドダウンケーキは英語圏のケーキです。今ちょうど裏で、予約分のタルトタタンを作っていますよ」
店長の男性は、視線で後ろを示した。ガラス越しに調理場が見える。
マスクをつけた男性従業員が、リンゴがつまったケーキ型の上に、タルト生地を被せていた。
「タルトタタンは、アップルパイの失敗から、生まれたケーキらしいですよ。フライパンでリンゴを煮詰めすぎたから、あんなふうにタルト生地を被せて、焼いてみたそうです」
店長の男性は未菜に、包装を終えたリーフパイを渡した。
未菜はリーフパイ入りの紙袋を抱えると、もう一度タルトタタンを見た。
底面に敷き詰められたリンゴは、型から取り出すときにさかさまになって、上の表面にくる。その魅力は、タルトタタンとリンゴのアップサイドダウンケーキは、まったく同じらしい。
「また今度、食べてみてくださいね」
「はーい」
未菜は笑って、洋菓子店を出た。
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