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発進!
「なんでドリンク注文するんですか」
それが今回の合コンでの、俺からの初めての女性陣への言葉だった。
「なんで分かんないですかね本当に。まず謝ってください」
俺の怒りに女性陣は悪びれる様子はなく、ただ毛先を指に巻き付けたり、携帯を弄ったりしている。
「聞いてます?」
「カラオケでドリンク頼んで何が問題なの?」
「割り勘だし」
「意味分かんない」
「何がって・・・」
思わぬ反論にまごまごしていると、山中が床に開けた穴から顔を出した。
「まだ大丈夫?」
我に返り、ドアを開けて廊下で見張っている奥田に声をかける。
「まだ来てない?」
「大丈夫」
それを山中に伝言すると、山中は再び改造作業に戻った。
「ねぇ歌っていい?」
「別にいいですけど」
緊張感のない女性陣に苛立つが、返す言葉がないので俺はただカラオケボックス内をウロウロした。すると、
「ねぇ目障り」
「動かないで」
「♪最後のキスは~」
と女性陣が注意して来たので、ソファーの端に座ってじっとするしかなかった。山中は改造が得意なのでその担当になったのは仕方がないとして、奥田の奴、女性陣の中で孤立したくなくて見張り役に立候補したな。
ドアの方を見ると、楕円形の厚いガラス越しでも、奥田が慌てているのが分かった。開けると同時に、
「来た来た来た!」
と言いながら飛び込んで来た。
クネクネしながら宇多田ヒカルを歌い続ける女性陣の一人を避け、山中を呼ぶ。
「まだかかる?」
「いや、いける!」
ドアの向こうに店員の影が見えた為、
「発進!」
と声を上げると、床下に取り付けた車輪とエンジンが躍動し出し、轟音を立ててカラオケボックスが動き出した。廊下と店の外に面している以外の二方の壁に縦の亀裂が入りそれぞれ二枚に裂け、床と天井の一部が千切れる音がする。同時に電気系統は根っこごと、つまり発電機ごと引っこ抜かれた。山中の計算通り、店から俺たちのカラオケボックスが独り立ちして走り出したのだ。
ドアの窓は店員監視の為に進行方向とは逆にしているので、フロントガラスの代わりになるように、カラオケボックス正面の外壁に防犯カメラを取り付け直し、リアルタイムでカラオケのテレビ画面に進む先の光景を映すよう改造していた。
「ちょっと歌詞消えたんだけど」
「スマホで調べてください」
テレビ台を進行方向の壁に移動させながら一蹴する。丁度今、歩道を乗り越え、車道に入ったところだ。一瞬カップルの仰天している様子が映った。ざまあみろ。
山中が握っているタンバリンのハンドルはちゃんと機能しているようだ。
「どこ行こうか?」
「取り敢えず真っ直ぐ。細い道には入らないで」
「了解」
俺は奥田が女性陣の間に素早く手を突っ込んで取ったデンモクに目をやった。改造済みのデンモクのスイッチを入れると、カーナビになった。
「ちょっと予約できないじゃん」
「スマホで流して下さい。あるでしょカラオケ音源のやつが」
先を行く俺たちの矢印に、奥田が店員に取り付けていた発信機からの情報によって割り出された店員の矢印が付いていっている。その距離が中々離れていかない。急に車化したとはいえ、乗用車くらいのスピードは出ている筈だ。
ドアの窓から店員を見ると、店員はバイクに乗ってこちらに迫って来ていた。片手でドリンクの乗ったお盆を持ち、片手でハンドルを操作している。
店員の追跡にやきもきしていると、
「歌えないんですけど」
「そもそもなんで逃げなきゃいけないわけ?」
女性陣が不服を漏らし始めたが、俺たちにとっては意外な質問だった。「なぜ店員から逃げる必要があるのか」だと?「パードゥン?」と言ってやりたい気分だ。そんなの決まっているじゃないか。
「歌ってる途中にカラオケ店員が入って来たら、気まずいでしょ?」
絵に描いたような、「パードゥン?」というリアクションが返って来る。
「だから、歌ってる途中にカラオケ店員が入って来たら、一回冷静になるでしょ?恥ずかしくて声小さくなって、盛り下がるでしょ?それが嫌なんですよ。だからあなたたちがドリンク頼んだことに怒ったんですよ」
「それって、ここまですること?」
驚くべき一言だった。
「ここまですることでしょうよ」
釈然としない様子だった。何が納得できないのだ。
「っていうか、今なら歌ってないから、入って来ても平気じゃん」
何を悠長なことを言っているのだ。
「今はそうですけど、歌っちゃうかも知れないじゃないですかカラオケボックスなんだから」
全く納得していない様子である。
「さっき一人ドアの前で見張ってたじゃん。店員来たら言ってもらえればよかったんじゃないの?」
馬鹿馬鹿馬鹿。
「それを伝える時にどっちにしても盛り下がるでしょ」
「それを言ったら・・」
「いいから黙っといてください」
流石に我慢できずにそう言い切ると、女性陣は何やらヒソヒソと話し始め、冷めた目でこう言った。
「あんたらさぁ、童貞でしょ?」
「なぜ今の話の流れでその質問をするのだ?」という疑問が浮かぶ前に、俺はほとんど反射的に体裁を守るのに必死になった。しかし発する言葉が見つからなかったので俺は黙ってしまった。そしてその沈黙が質問に対する何よりの答えとなっている状況に焦っていたが、その内に沈黙の中で諦めて、嘲笑が来る覚悟をした。空気が嫌に暑く、湿っぽく感じられた。
しかし女性陣は笑わずに、各々に時間を潰し始めた。そして俺は自分への注目が逸れた時初めて、「なぜ童貞かどうかの質問をしたのだろう?」という疑問を浮かべることができた。しかし答えは出ず、ただ混乱するだけだった。
気が付くと、俺たちのカラオケボックスはいつの間にか高速道路に乗っている。
「高速乗って良かったよな?」
という奥田の言葉にも、
「良かったよ」
という俺の言葉にも力はなかった。女性陣のさっきの一言は俺たちの士気を下げるのに十分過ぎる効力を持っていた。しかし山中だけは様子が少し違う気がした。まさかこいつ、いつの間にか卒業していたのか?そういえばこの女性陣の代表を紹介したのは山中だ。
奥田と共に山中をほとんど睨むように見ていたが、それは長くは続かなかった。なぜなら、
「おい見てみろよ」
という山中の言うままにテレビ画面に目をやると、山中が非童貞かどうかの疑念は一瞬で掻き消えるような光景が目の前に広がっていたからである。
そうゆう時代だからなのかは知らないが、高速道路のどこを見ても、走っているのは全てカラオケボックスだった。前を走るのも、対向車線からこちらに向かって来るのもカラオケボックスである。後ろのドアを見ると、店員の向こうからカラオケボックスが向かって来ている。高速道路がカラオケボックスで埋め尽くされている。そして中にはタイヤがキャタピラー式になっているものや、カラオケボックスを中から担いで走っているものもあったが、どのカラオケボックスにも一様に店員が追いかけている。俺たちと同じ境遇の人間がここまでいるのかと思った。
同士を得たような気持だったが、その状況を「これが世間だ。感覚がおかしいのはお前等の方だ」と女性陣を言い包める材料にはしなかった。童貞の事実を前にしてはそれだけの武器では太刀打ちできる気がしなかったし、まだ童貞への言及の理由を解明したわけではなく、そこに彼女たちとの感覚の違いの訳が隠されている気がしていたからだ。
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