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影はまさに神出鬼没だった。
「あれ、どこいった?」
「見つけた! あっち!」
影はびっくりするほどすばしっこくて、藪の影にいたり、枝の上で跳ねていたり、かと思うと正面で「急がなくちゃ、急がなくちゃ!」と叫びながら遠ざかっていった。
ひとつ所に留まらないので、油断すると見失いそうになる。
おかげで散々に翻弄されて二人は、根っこに足を引っかけ、コケで滑り、汚らしい泥ダルマになった。
「もう、なんなのよ!」
白からカーキ色に変色したシャツの裾を絞って水分を落としながら杏奈が憤慨していた。
「絶対につかまえて話し聞いてやるんだから!」
泥だらけになりながら追いかけていると、影がついに走る速度を緩めた。
そこはへんてこな場所だった。
小さな広場に巨木がそびえているのだけど、その巨木の洞にドアがついていた。
おまけに巨木には見事なキノコが生えていて、そこから白煙が吹き出している。あれはたぶん――煙突だ。きっと洒落たアフタヌーンティーを楽しむためにお湯を沸かしているにちがいない。
つまり、あそこにはなにかが住み着いているんだ。でもこんな森の奥深くに誰の家?
影はまっすぐ洞穴に飛び込んだ。ドアを閉める音がする。
すぐに歩たちもドアに張り付いた。
「ちょっと話を聞きたいんだけど。ねえ、ドアを開けてもらえないかしら!」
杏奈が腰の高さまでのドアを強く叩いた。すると小さな覗き窓が開いた。
不機嫌そうな男の子の声が聞こえてきた。
「なんなの、なんの用?」
「あ!」歩は思わず叫んでしまった。「やっぱりウサギだ!」
小窓から覗くのは、まさにウサギだった。
特徴的な長い耳が翻り、黒豆のような目が光っている。
褐色の毛は少し泥に汚れている。
そこまでなら普通のウサギなのだけど、このウサギがちょっと変わっているのは、二本足で立ち、おまけに緑色のセーターを着ているのだ。
ウサギは不満そうに顔を歪めて――そう、人間みたいに顔を歪めてみせて「ウサギだって?」と吐き捨てるように言った。
「あんな野蛮なヤツらと一緒にして欲しくないね! ボクはね、他所様の家を勝手に乗っ取るような野蛮なマネはしないんだよ! 話はそれだけ? それだけならもういいでしょ。それじゃあね、さようなら!」
一緒にして欲しくない? 君もウサギでしょ? 呆気に取られている間に、ウサギは覗き窓をぴしゃんと閉めてしまった。止める間もなかった。
杏奈がまたドアを叩いた。先ほどより力が強いようでドアがミシミシと鳴った。
「ちょっと! まだなにも話してないでしょ! わたしたち迷子なの! 道知っていたら教えてよ!」
「――もう、もう、うるさいなあ!」覗き窓がまた開いて、ウサギが顔を覗かせた。
「ちょっと静かにしてよ! アロワーナに気づかれちゃうでしょ! ボクはね、キミたちと話すことなんてないの! わかる? だからキミたちはとっととどっか行ってよ!」
まったくの平行線。――とりあえず、アロワーナってなに? 歩がそう聞こうとしたところで、それは起きた。
遠くで凄まじい轟音――おそらく木が倒れる音がした。地面が揺れた。杏奈がドア叩きをやめて「いまのなに?」と不安そうに辺りを見回した。
「もおおおおおお! ほら、やっぱり、ほらあああ!」
ウサギが怒り出した。
頭を掻きむしるので、毛玉がどんどん床に積もっていく。
「キミたちが騒ぐからアロワーナに気づかれたんだ! ここはアイツに気づかれない、静かで最高の場所だったのに! アイツがここまで来たらどうしてくれるんだよ! もおおおおお、キミたちほんとにどっか行ってよ!」
ウサギはまた覗き窓を閉めてしまった。
家の中でドタドタという足音が遠ざかっていく。どうやら家の奥に隠れようとしているらしい。
どぉんとまた轟音が響いた。それも少し近づいている気がする。
歩と杏奈は顔を見合わせた。杏奈の顔は「どうする?」と聞いていた。
アロワーナがなんなのかはさっぱりわからない。でもウサギの様子を見る限り――非常に厄介なものらしい。それなら、やることはひとつしかない。
歩はドアを叩いた。杏奈も両手で加勢した。
「ねえ、わたしたちも入れてよ! 危ないんでしょ!」
杏奈が呼びかけるが、ウサギからの反応はない。どぉんがさらに近づいた。空気が震えた。
「開けてよ!」
「ねえ、君にはなにもしないから!」
ウサギは嵐が通り過ぎるまで、家の中にとじこもるつもりのようで、ドアを叩いても揺すっても返事をしない。
轟音の間隔が短くなり、さらに振動で足が浮かぶようになったとき、杏奈にいよいよ我慢の限界がきたようだ。
目を吊り上げて、歩が耳を塞がなければならないほどの大声で怒鳴りつけた。
「ちょっと、開けてって言ってるでしょ! そっちがその気ならわたしにも考えがあるからね! あなたがここを開けてくれるまで騒ぎ続けてあげるから!」
その脅迫じみた作戦は見事に成功した。固く閉ざされたドアが開いたのだ。顔を覗かせたウサギはやっぱり頭を掻きむしっていた。
「もおおおおおお! 騒ぎ続けるとか大迷惑だよ! もう、とっとと入って!」
開け放たれたドアからウサギの家に、歩と杏奈は飛び込んだ。
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