第1章 霧の先へ

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「じゃあ忘れ物ないように気をつけろよ」  修二先生が一通りの事務連絡を済ませ、教室を出て、クラスの緊張が解けた瞬間、歩は席を飛び出した。「あっ」と隆也が呟くほどの素晴らしい出足だった。 「おい、ちょっと待って!」  教室を出ると、隆也やその取り巻きが「逃げんな!」と追いかけてきた。もちろん歩はスピードを緩めない。アクセルは踏みっぱなし、全開だ。  廊下を曲がり、階段を一段飛ばしで駆け下り、ぶつかりそうになって目を丸くする女子を、「ごめん!」と横にステップしてかわす。きっとタイムを測ったら、自己記録を更新する素晴らしいスピードだ。  隆也や取り巻きは、運動部に入っているだけあって、どいつも学年トップクラスに足が速い。でも、出足の差で追いつけやしない。  薄暗い玄関にたどり着き、教室からずっと手にしていたスニーカーに素早く履き替えて、そのまま校舎に飛び出した。上履きは、こちらも前もって準備していたビニール袋に突っ込む。  暗がりから日の下に出ると、七月の力強い日光が目に入った。昼過ぎに降った雨を浴びて庭に植えられたケヤキの葉が、ガラス片を散りばめたみたいにきらきら瞬いていた。このままずっと暑くなりそうだ。忘れていた汗が顎を伝った。 「なんだこれ!」  日の下に数十歩出たところで隆也の怒声が聞こえた。振り向かなくてもわかる。下駄箱の中に入っている靴が自分の物ではなく、さらに左右がちぐはぐになっているのだ。放課後に追いかけられるだろうと予想して、休み時間の間に細工しておいたのがうまくいったんだ。歩は小さく笑った。 「ふざけんな! 許さねぇぞ!」  隆也が顔を真っ赤にして吠えた。ほんと七面鳥みたいだ。ちっとも怖くない。 「許さないって靴のこと? それはゴメン。休み時間に靴が転がってるのを見つけてしまったんだけど、時間がなかったからバラバラになってるかもしれないね。でも、数は合ってたから、みんなで交換すれば自分の靴が見つかるんじゃないかな」  隆也が呆けた顔で、仲間たちと靴の交換をはじめた。ペアが揃ったようで「おー」と歓声があがった。   隆也たちは靴に夢中で、何を追いかけていたかすっかり忘れてしまったようだ。歩は「じゃあね」と小さく呟き、だれにも引き留められずに校門を出て行った。
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